- 出演者
- 古谷敏郎
オープニング映像。
気象情報を伝えた。
マジックを演じる女性は1958年(昭和33年)、カラーテレビの実験放送の様子。マジックはテレビ放送の草創期から親しまれてきた。日本を代表するマジシャン・Mr.マリックに、テレビとマジックの関わりについて伺った。テレビの歴史とともにマジックはどのように広まり発展していったのか紹介する。なぜマジックかと言うと、見て楽しむ芸能であるマジックは実はテレビ放送の歴史と深い関わりがある。テレビというビジュアル優先のメディアに、マジックはいち早く取り入れられた。マジックの歴史を研究している森下洋平が調べたもので、テレビ放送が開始された1953年2〜12月までにマジシャンが出演したNHKの番組数は19。出演者見てみると松旭斎天洋とか、アダチ龍光とか、当時の第一線のマジシャン・奇術師が登場している。テレビ1年目からNHKだけでも、ほぼ毎月マジックが放送されていた。なぜこれほどテレビでマジックが注目されたのか。
テレビ放送が始まった1953年(昭和28年)、演芸番組の内容も、それまでの落語や漫才など聴くものに加えて、見て楽しむものが登場した。1954年からスタートした番組「テレビ檜舞台」をはじめ「テレビ百花選」、さらに「テレビ木馬館」など見て楽しむ芸が中心。つまりビジュアル優先。その一つがマジックだった。しかし、テレビを通してマジックを見せるには舞台とは違った難しさがあった。実験放送の時代、こんな失敗談があった。カラフルなマジックが、当時のモノクロテレビだと色が分からず、見栄えが悪い。派手な金属製の道具を使っても、照明が当たると光を反射してしまい手元が見えにくい。さらにもう一つ大きな課題があった。それはテレビ特有の枠・フレーム。舞台ではマジシャンは自由に動いて演技ができる。しかしテレビのフレームは限られているため、それを無視するとテレビからはみ出てしまい、肝心なところが見えない。そこで全体が分かるよう大きく映すと、今度は手元が小さくなって見えにくくなってしまう。しかも当時は全てが生放送。失敗はそのまま放送されてしまう。「舞台のような演じ方では通用しない」当時のマジック関係者たちはテレビ奇術研究会を発足。どうすればテレビを通してマジックを楽しんでもらえるのか試行錯誤を重ねた。その結果、テレビカメラのフレームを生かした演技をすることが大切だと気付き始めた。
Mr.マリックは1980年代に超魔術で一大ブームを巻き起こした。NHKに初めて出演した時の貴重な映像を紹介。マリックも初めはテレビカメラの前で演じることに大変戸惑ったという。これまでのマジックだけでは通用しない。テレビのフレームの中で、すべて完結させなければならない。そこでマリックが注目したのは一時、流行にもなったスプーン曲げだった。手元のスプーンだけに客の関心を集める、動きも少なくフレームを気にしなくていい、しかも360度どこから映されても大丈夫。これこそテレビ時代のマジックだと確信した。テレビを通してより多くのマジックが紹介されるようになって、自分もやってみたいとマジックに関心を持つ人も増えてきた。やがてテレビとマジックの普及とともに、プロのマジシャンを目指す人が現れてきたが、その一人が島田晴夫。テレビの黄金時代がきた昭和40年に、マジックの本場・米国を目指して旅立った日本より世界で有名なマジシャン。日本での活動の期間はわずか10年足らず。しかしそんな島田の貴重な映像が、NHKのアーカイブの資料に残っていた。伝説のマジシャンMr.島田の足跡をたどる。
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- 15時間ワイド日本列島大みそか島田晴夫
1979年(昭和54年)に放送されたNHK「世界のマジックショー」。登場したのは世界中の舞台で活躍するマジシャン・島田晴夫。燕尾服に身を包み、華麗に操るハト。かと思うと一転して日本の音楽に乗せ、羽織袴姿で和の世界にいざなう。和と洋、どちらも自在のマジック界の元祖二刀流。スケールの大きなその演技に世界中の観客が魅了された。天才少年マジシャン現る。デビューは17歳。昭和30年代、NHKをはじめ数々のテレビ番組に出演。当時の大人気番組「てなもんや三度笠」では、主演の藤田まことたちを煙に巻いた。しかし、そこで満足はしない。夢はショービジネスの本場・米国。昭和40年、海外に渡ることを決意した。当時の思いについて晩年振り返っている。「テクニックなら誰にも負けない」そんな気概を持ってオーストラリア、メキシコそしてヨーロッパへと進出。しかし英国で壁にぶつかった。それまで着たこともなかった着物や扇子など和風の小道具をロンドンで買い集め、日本人であることを生かした演出スタイルを模索した。それまで誰もやったことがないオリジナルの演技をつくり上げ、念願だったマジックの本場・米国へ。1971年、ロサンゼルスの「イッツマジック」というショーに出演。それまで見たこともない東洋のエキゾチックな演技に米国の観客は圧倒された。その翌年、Mr.マリックは島田の演技を見た。
ロサンゼルスにあるマジックの殿堂・マジックキャッスル。島田晴夫はそこにレギュラー出演するようになる。さらに米国を中心に世界中の舞台で活躍。島田が最後にマジックキャッスルの舞台に出演した時の映像を紹介。マジックキャッスルは今もマジシャンにとっては憧れの殿堂。世界的マジシャンの一人、中国のジュリアナチェンは、島田から大きな影響を受けたという。2022年、島田は病気で入院。ジュリアナは病床でも指導を受けた。この映像の10日後、島田は81歳で亡くなった。マジックへの情熱を燃やし続けたまま。今、アジアを中心にプロマジシャンを目指す若い人は大勢いるが、その多くの若い人たちにとって夢・目標はMr.島田。島田は今もアイドル、レジェンドであり続けている。マジックはテレビの普及とともに広まっていった。そしてSNS時代の今、さらにマジックの進化も加速している。世界中のマジシャンにとって憧れともいえる、米国「マジックキャッスル」を舞台にした番組を来月放送する。「世界最高峰のマジック殿堂・マジックキャッスル2024」をBSP4Kでは、11月9日(土)午後9時45分から、NHKBSは11月23日(土)午後9時から放送。
豊洲市場からいまが旬のえのきだけ・エリンギ・ぶなしめじ・まつたけの魅力を伝える。見極めのポイント、保存法、オススメの調理法を紹介。「まつたけの天ぷら」などが登場した。
マジシャン・島田晴夫さんなどについて語ってエンディング。
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