海士町の海産物を全国に売る奥田さんの取り組みは苦戦していた。山内町長は自ら東京に出向き、売り込みを手伝った。「モノを売るときはまず自分を売れ」。営業マン時代の信念を背中で奥田さんに伝えた。奥田さんの妻も力になりたいと動いた。地元出身で食べ方は知り尽くしている。島を訪れたバイヤーに手料理を振る舞い、家族一丸もてなした。役場職員の給与カットは続き、新聞は国内最低水準だと報じていた。この数年身を削って働く職員を町民は見ていた。島で旅館を営む宇野貴恵さんは役場への印象が一変していた。生徒数減少に苦しむ隠岐島前高校では大改革が始まった。吉元さんが中心となり、起死回生をかけてある人物を口説き落とした。岩本悠さん。東京のサラリーマンだが、学生時代に途上国で学校をつくったというバイタリティーの持ち主である。偶然特別授業の講師として海士町の中学校にやって来た。見学した吉元さんは無茶を承知で「この島に移住して魅力ある高校づくりを手伝ってもらえないか」と頼み込んだ。吉元さんの熱意に押され4か月後、岩本さんの移住が決まった。
岩本さんが打ち出したのは全国から留学生を募る「島留学」。寮生活をしながら漁業や農業を体験し、生きた知識を学べるユニークな学校である。留学生をサポートする「島親」には隣の島からも手が挙がった。1年目の留学は8人。その子たちを大切に見守ると翌年は12人に増えた。財政、バス、値上げに言及。海産物の冷凍販売で新事業を立ち上げていた奥田さん。総力戦になっていた。料理自慢が知恵を出し合い、地元にしかない味付けの新商品を続々と開発した。そのサンプルを手に、奥田さんは山内町長と営業に回った。コツコツと居酒屋チェーンやデパートを回り、頭を下げた。鮮度と味のよさが認められ、新事業で利益が出るようになったのは5年目のことである。島で漁師をやりたいと移住してくる者が現れた。Iターン者をみんなで歓迎した。元トヨタ自動車の阿部裕志さん。移住の決め手になったのは山内町長が島の子どもと話している姿だったという。町を挙げての改革が始まって今年で22年が経つ。かつての財政危機を脱し、新たな移住者は750人を数える。消えゆく運命に一度は打ちひしがれた島。歓声が響く笑顔の島になった。
岩本さんが打ち出したのは全国から留学生を募る「島留学」。寮生活をしながら漁業や農業を体験し、生きた知識を学べるユニークな学校である。留学生をサポートする「島親」には隣の島からも手が挙がった。1年目の留学は8人。その子たちを大切に見守ると翌年は12人に増えた。財政、バス、値上げに言及。海産物の冷凍販売で新事業を立ち上げていた奥田さん。総力戦になっていた。料理自慢が知恵を出し合い、地元にしかない味付けの新商品を続々と開発した。そのサンプルを手に、奥田さんは山内町長と営業に回った。コツコツと居酒屋チェーンやデパートを回り、頭を下げた。鮮度と味のよさが認められ、新事業で利益が出るようになったのは5年目のことである。島で漁師をやりたいと移住してくる者が現れた。Iターン者をみんなで歓迎した。元トヨタ自動車の阿部裕志さん。移住の決め手になったのは山内町長が島の子どもと話している姿だったという。町を挙げての改革が始まって今年で22年が経つ。かつての財政危機を脱し、新たな移住者は750人を数える。消えゆく運命に一度は打ちひしがれた島。歓声が響く笑顔の島になった。