日本被団協代表委員は日本政府に核兵器禁止条約の会議の参加を求める訴えを行った。代表委員は3歳の時広島に疎開し3か月後原爆が投下された。その後父親を探すために広島市中心部に入り入市被爆した。核兵器禁止条約はおととし発効されたが核保有国や日本は不参加。代表委員は被爆者の思いが届かず脅威が高まっていることに焦りを感じている。代表委員を奮い立たせているのが亡くなった坪井さんの存在で、不撓不屈の精神で訴える坪井さんの姿が忘れられない。代表委員は会議のために渡米を決め「被爆者たちの思いを伝えることで核兵器禁止条約批准への動きが広がれば」と話した。