京都に生まれたギャル曽根は、父親が建設会社を経営し、その社長令嬢として10LDKの大豪邸で裕福な暮らしをしていたという。ギャル曽根自身は、小学校低学年の頃から毎晩1升の白米を平らげる大食いで、姉も大食いだったという。しかし、小学3年生の時に父親の会社が倒産し、数億円の借金を残して離婚。母親は返済のために豪邸を手放し、貧乏生活を送るようになったが、母親が作る創意工夫を凝らしたアイデア料理のおかげで、子どもたちの食べる量は変わらなかった。中でも、ギャル曽根が好きだったのはトマトジュースで炊いた「赤いご飯」だったという。だが、子どもたち全員が食べ盛りに突入すると、家計は工夫では追いつかず苦しくなっていった。