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「バルセロナ五輪」 のテレビ露出情報

数々の歴史的な瞬間を刻み、電池式腕時計にGPSソーラーなど世界初の技術を生み出しているセイコーを調査すべくセイコーミュージアム銀座へ。歴代モデルだけでなく、時計の起源である日時計まで約650点もの実物が展示されている。最初にセイコー創業者、服部金太郎の生涯を紹介したフロアを訪れた。1860年銀座で誕生、13歳のころ時計屋が雨の日でも修理の仕事をしているのを見て「雨の日でも大切な時を無駄にしない時計屋になろう」と決意。時計店で修業を積み1881年服部時計店を創業、当時は外国製品の輸入や修繕をしていた。1892年精工舎を設立し「精巧な国産時計の製造に成功する」という決意を込めた。最初に造られたのは掛け時計。ぜんまいを巻くと8日間動いたことから「八日巻掛時計」と名付けられた。その3年後には懐中時計を発売、1899年には国産初の目覚時計の製造に成功。現在、和光本店がある銀座4丁目に進出、国産初の腕時計を発売。当時で約17円、月給の半分ほどになる価格だった。1923年関東大震災が起き、精工舎の焼け跡から掘り出された懐中時計が展示されている。自身も被災した金太郎だがお客様に迷惑をかけられないと焼けて失われた修理品は同等の新品を無償で返したという。その翌年初のセイコーブランドだった。
世界初のGPSソーラーアストロン、最新モデルでは大谷翔平を起用しGPS衛星から正確な時計情報を受信しソーラー発電で動き続ける。潜水士の要望を受けて作られた600m飽和潜水用防水の本格ダイバーズウォッチや世界で初めて宇宙で使うために開発・設計され5時間もの船外活動に耐えたものまでセイコーが時計業界に革命を起こしたのが世界初のクオーツ式腕時計水晶の振動を利用した電池が動力で機械式の100倍以上の制度を実現。現在、全世界で製造されている腕時計の約97%がクオーツ式になっている。1964年の東京五輪をきっかけにスポーツ時計分野にも着手していた。ストップウォッチの正確さが認められ公式掲示と選ばれた。1992年バルセロナ五輪で岩崎恭子が使用した飛び込み台もセイコー製。2017年独立ブランドとしてグランドセイコーを設立した。時計界のアカデミー賞と呼ばれるジュネーブ時計グランプリ「クロノメトリー」賞受賞するなど世界で躍進を続けている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月15日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!(オープニング)
2010年のきょうは柔道 谷亮子さんが引退を発表した日。1992年、田村亮子選手として初めてのオリンピックとなるバルセロナ大会、決勝で敗れるものの当時史上最年少の16歳で銀メダルを獲得。その後4年間無敗、金メダル大本命で臨んだアトランタ五輪では2大会連続銀メダルに。「最高でも金 最低でも金」と自ら鼓舞し迎えた2000年シドニー五輪で金メダル獲得。その3年後、[…続きを読む]

2025年10月14日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
うたコンテレビが生んだヒット曲
1992年の紅白歌合戦をプレイバック。バルセロナ五輪に沸いたこの年、紅白のステージにはスポーツ界を賑わせたアスリートたちが登場した。紅組の司会は「連続テレビ小説 ひらり」でヒロインを演じた石田ひかり。白組は堺正章が務めた。テーマは「~テレビ40年・日本そそして家族~」。チェッカーズはこの日をもって解散した。藤あや子はこの年が紅白初出場で「こころ酒」を披露した[…続きを読む]

2025年10月13日放送 0:15 - 1:13 TBS
S☆1(スポーツニュース)
プロ野球ドラフト会議の注目選手を紹介。創価大学・立石正広はリーグ三冠王の長打力が武器。母は元バレー選手でバルセロナ五輪代表。仙台育英高校・吉川陽大は最速147キロのサウスポー。母はバレーボール元日本代表の津雲博子。明治大学・大川慈英の母はアトランタ五輪代表の鳥居千穂。最速155キロのストレートが一番の武器。今日のリーグ戦にクローザーとして登板し、パーフェクト[…続きを読む]

2025年9月24日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
くりぃむクイズ ミラクル9昭和100年をさかのぼるタイムマシンQ
阿部ナインが昭和元年へ遡るタイムマシンクイズに挑戦した。阿部ナインへのボーナスタイムでは、有田ナインの正解人数を下回り失敗。復活チャンスで石原が復活した。パーフェクト正解で25ポイントを獲得した。

2025年9月15日放送 17:00 - 19:10 TBS
2025世界バレー男子世界バレー男子 予選ラウンド第2戦 日本vsカナダ(中継3)
絶大な人気を誇る若きエース・高橋藍。DIORのアンバサダーを務め、CMや雑誌のオファーも殺到。Instagramのフォロワー数は270万人。得点力と守備力があり、日本の攻守の要となっている。高橋藍は唯一無二の選手になり、日本バレーボール界を盛り上げたいと話した。小学2年生でバレーボールを始めた。当時は背が低かったため、アタッカーではなかった。小学校の卒業文集[…続きを読む]

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