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「オリンピック」 のテレビ露出情報

新競技のブレイキンは音楽に合わせて1対1で交互にダンスを披露し、技術や音楽性、表現力などを競う競技。アメリカが発祥で、ギャング同士の抗争を平和的に解決する手段としてダンスで競い合ったのが起源とされている。この競技で初の金メダリストとなったAMIこと湯浅亜実選手へのインタビュー。今現在の心境を尋ねられ、「1日経ってやっと実感が湧いてきた」と答えた。オリンピックの舞台に立ったときの気持ちはと問われ、「初日は緊張したが、ステージに登ると応援が目に入り、大丈夫だ!と思って楽しく踊れた」などと語った。
決勝戦では去年の世界選手権制したリトアニアの選手と対戦したが、どんなことを考えながら技をきめていったかとの質問に「もともとトップ4の時に決勝でやる予定のものを、直前に入れ替えて挑んだ。NICKA選手はうまい選手とわかっていたので、相手がどうとか考えること無く、自分のすべてを出し切って、勝っても負けても、やり切ったから満足って思える踊りをしようと。あとはそのステージを全力で楽しもうという気持ちでステージに立った」と話した。また、事前にどんな曲が流れて来るかわからずに即興で踊るが、どんな勝負だったかと聞かれ、「普段から色々な曲で練習をしていて、DJの人たちも踊りやすい曲をかけてくれるので、ステージに立った時に踊れないことは無い。得意な曲や苦手な曲がかかることはあるが、どんな曲でも踊れるように心がけている」などと答えた。即興で自分を表現することの魅力について聞かれると「ブレイキンは生モノで、その場の雰囲気やライブの音楽、その時その瞬間にしか生まれないドラマがあるところ」と述べた。
1対1での対戦だが、相手によって踊り方を変えるかとの質問に対し「変わってくる。自分がどのように踊りたいかを一番に考えるが、相手によって自分の強みを活かしたりすることはある。当日対戦相手が判明してから考えることが多い。それについてワクワクもするし、ソワソワすることもある。不思議な感情。でもこれをこの場で試したらどうなるんだろうみたいなウキウキ感もある」と説明した。また、ブレイキンがオリンピックの競技として追加が決まった時に葛藤があったと言うがどういった葛藤だったかとの質問には「私にとってブレイキンは自己表現であって、アートや写真みたいなもの。好みの差はあれど、どちらが正しいとか間違っているとかは無いもので、それがスポーツになった時に勝ち負けで全てが決まってしまうのはどうなんだろうと思った。また、オリンピックは規模の大きいイベントだから、ブレイキンの良さが潰されてしまうんじゃないか不安だったが、日本の連盟を引っ張って行く人たちが信頼できたから、ブレイキンにとって悪いことにはならないと思ったから、オリンピックへの出場を決めた」などと語った。また、今後どのように発展していってほしいかと問われ、「ブレイキンには参加者全員の良さがあるもので変わらないでほしい。でも、スポーツになったことでより多くの人たちに知ってもらうことができて、ブレイキンの選手たちの選択肢も広がってほしい」と述べた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年4月27日放送 16:45 - 17:15 NHK総合
時空鉄道 〜あの頃に途中下車〜(時空鉄道 〜あの頃に途中下車〜)
南部線を紹介。武蔵中原駅から徒歩15分のところに川崎フロンターレのホーム「Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu」がある。1993年、かつては東京ヴェルディの本拠地だった。当時の等々力陸上競技場ではJリーグブームに沸く観客たちをすべて受け入れることができなかった。ヴェルディは2001年に川崎から東京・調布市に移転。その開いた競技場をJ2だった川[…続きを読む]

2025年4月26日放送 22:00 - 23:24 TBS
情報7daysニュースキャスターニュースワードランキング
パリ五輪金メダリストの角田夏実が体重無差別の皇后盃全日本女子柔道選手権が体重差のある相手に健闘した。

2025年4月26日放送 17:00 - 17:30 フジテレビ
ジャンクSPORTS黄金コンビ
今回はお互いをリスペクトし合うアスリートコンビが登場。

2025年4月26日放送 16:45 - 17:58 NHK総合
放送100年 スポーツ名場面放送100年 スポーツ名場面 歴史を彩ったヒーロー・ヒロイン
陸上 女子やり投げで北口榛花は金メダルを獲得。北口榛花選手らが残した言葉はオリンピック名場面の一つ。男子マラソン 谷口浩美は競技中にコケ、試合後に「これも運ですね」などと話した。女子マラソン 有森裕子は「初めて自分で自分を褒めたいと思います」などと話した。

2025年4月26日放送 13:30 - 14:35 テレビ朝日
鶴瓶孝太郎 転職したら人生○○だった件(鶴瓶孝太郎 転職したら人生○○だった件)
パリ五輪で健闘した男子バレー日本代表。だがかつては五輪にすら出場できない低迷期があった。その時期に活躍し、バルセロナ五輪では6位入賞を果たした日本代表の中垣内祐一選手。大人気だった中垣内選手だが、現在は福井県にいるという。

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