カヌー選手・瀬立モニカさん。パラリンピックはリオ8位、東京7位。パリではメダルを目指していた。一緒に戦ってくれるのは母・瀬立キヌ子さん。2020年、モニカさんは沖縄で合宿中だった。モニカさんの胸から下は麻痺しており、動かせない。笑顔の力を授けてくれたのはキヌ子さんだった。看護師のキヌ子さんに女手ひとつで育てられたモニカさん。カヌーとの出会いは中学2年生、地元・東京のカヌークラブに入る。しかし、高校1年生の時、体育の授業で脊髄を損傷し、歩けなくなった。車いすでの生活に慣れず、苛立ちをぶつける相手はいつもキヌ子さんだった。しかし、「笑顔は副作用のない薬」が魔法の言葉となった。事故から半年後、高校に復学。さらに高校2年生の7月に再びカヌーに挑戦する。あまりの気持ち良さに、その場でパラリンピックを目指すと宣言。転覆しても自力で脱出できるように落ちる練習から始めた。苦しい時でもやり抜けたのは「笑顔は副作用のない薬」という言葉があったから。気がつくと笑顔から生まれた人の輪が広がっていった。9月のパリパラリンピック、結果は6位。パリが始まる前まではこれで最後だと思っていたが、たった1分のレースで全部吹き飛んだという。観客からはモニカコールが送られた。実はキヌ子さんがお菓子を配って娘の応援を呼びかけていた。フランスの応援団長にハッピーターンを渡すと、フランスの人たちをまとめてくれたという。キヌ子さんはブリスベン大会(2032年)までやったらどうと言っている。キヌ子さんは私も成長できたから「ありがとう」と伝えたいと話した。一方、モニカさんはキヌ子さんに大好き、この世で一番愛していると伝えた。