安藤さんは、フジテレビのアナウンス室のお局だと思っているも多いが、大学時代にテレビ朝日の報道番組のアシスタントをしたことが縁でこの世界に入りずっとフリーランスだと語った。母は報道の仕事に反対だった。片意地を張ってどんな仕事を断らないでいたが、母は可愛らしい服を着た人生を送って欲しいと考えてピンクのネグリジェを自宅で着せようとしていた。そんな母の介護も経験した。父は家のことを一切やらない人だったが、認知症の母の介護をするようになってからはすべてやるようになって全部カバーしていた。母がどんどんヘルパーをやめさせるようになってからは、施設に入れて、介護士さんに助けてもらった。母は臨床美術に出会ってから、花にまつわる作品の個展を開いた。認知症でできることがどんどん奪われてしまったことが母の怒りの正体で自己否定だったが、絵を描いて自己肯定できたことでものすごく穏やかになった。