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「ルーズベルト大統領」 のテレビ露出情報

7月、NHKが向かったのはロシアによる実効支配が続く北方領土。国後島では勝利広場という施設の建設が続いていた。第二次世界大戦で日本に勝利したことを、次の世代に広める狙いがある。国後島では官民あげての観光地開発が行われている。供給リゾート施設は1泊6万円から。客足も去年より35%以上増えた。
色丹島には、かつて1000人の日本人が生活していて漁業が栄えていた。近年建設されたのが、北方領土最大の企業「ギドロストロイ」の水産加工場。島民の6人に1人を雇用している。主な輸出先は中国。
東京大学先端科学技術研究センターの小泉准教授は、ロシアにとって北方領土の軍的重要性が増していると指摘する。北方領土と千島列島の基地を防壁として、ロシア軍は原子力潜水艦を配備。小泉うじはこの一体をオホーツク核要塞と呼んでいて、重要拠点となるのがルイバチー基地である。アメリカへの抑止力として、要塞の重要性が増している。
北方領土問題の解決の道筋が示されない中、元島民は返還を求め続けている。勇留島出身の角鹿さんは長年返還運動の先頭に立ってきた。北方墓参にも毎回参加してきたが、コロナ禍の2019年を最後にふるさとの地を踏んでいない。戦後80年経っても進展のない問題にもどかしさを感じている。
1945年のヤルタ会談で、ソビエトに対日参戦を望んでいたアメリカは、日本の領土だった南樺太を返還し「千島列島を引き渡す」という密約を交わした。1955年日ソの国交正常化交渉が始まったが、ソビエトは歯舞、色丹の返還を検討。アメリカが待ったをかける。領土交渉が停滞する中、92年からビザなし交流が始まった。しかし22年にロシアのウクライナ侵攻が始まり、日本が制裁を課すと交流は停止となった。交流の象徴だった友好の家は、飲食店に変わっていた。日本人との交流再開を待っている人もいる。
6月、元島民の角鹿さんは大動脈瘤の手術のために入院していた。元島民の平均年齢は89歳になる。7月、角鹿さんは洋上慰霊に参加していた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月31日放送 2:45 - 3:30 NHK総合
北海道スペシャル(北海道スペシャル)
19世紀以降、何度も国境線が引き直されてきた樺太・千島列島。内地からの移住者が開発を進め、1940年には人口40万人に。当時は新聞以外に情報を知る手段がなかったが、日本放送協会がラジオを設立。当時の政府はラジオを利用して国論統一を図る動きを進めていたこともあり、設立は急ピッチで進められた。
かつて樺太に設置された日本放送協会のラジオ局「豊原放送局」。開局目[…続きを読む]

2025年8月25日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1930年に選挙で勝利したのは第27代首相の浜口雄幸。5年前に普通選挙が成立し、有権者の数は4倍になり、議員たちは支持獲得に躍起になった。当時は政治と国民の橋渡しになっていたのは新聞だ。当時の日本は世界恐慌による不況のただ中だったので国家予算の大きな比重だった軍事費を抑えたいという思いがあったという。
しかし1931年に満州事変が起こり、首相の若槻禮次郎が[…続きを読む]

2025年8月19日放送 2:15 - 2:44 NHK総合
3か月でマスターするアインシュタイン第6回 世界一有名な式
引き続き「E=mc²」の式を考える。そこで小林晋平は元素の周期表と原子核の模型を出して、核分裂について解説した。核分裂をすると質量が減ってしまい、その分のエネルギーが逃げているということが想像でき、そこからエネルギーを取り出せるのではないかと小林晋平は解説した。原爆は核分裂の反応を用いたものだと伝えた。

2025年8月15日放送 15:45 - 19:00 フジテレビ
イット!(ニュース)
終戦から80年の節目を迎えた今日、日本武道館では天皇皇后両陛下が出席され全国戦没者追悼式が行われた。反省という言葉が総理の式辞に盛り込まれるのは野田総理以来13年ぶり。正午には参列者が黙祷、その後天皇陛下がお言葉を述べられた。今年参列の意向を示した遺族は3400人あまりで戦後生は53%となり初めて半数を超えた。遺族の高齢化が進む中、記憶をつなぐことが大きな課[…続きを読む]

2025年8月15日放送 11:30 - 11:50 フジテレビ
FNN Live News days戦後80年 いま、平和ですか
志村俊子さんの父・市丸利之助さんは海軍の司令官として指揮をとった。亡くなる直前には当時のルーズベルト大統領にあてた手紙を書いたことでも知られている。手紙は硫黄島で発見され、日本が置かれた状況を説明するものとしてアメリカでも大きくに報道された。利之助さんは硫黄島で壮絶な最後を遂げた。俊子さんは硫黄島遺族会を立ち上げ平和の必要性を訴えてきた。その思いは娘や孫たち[…続きを読む]

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