2025年8月31日放送 2:45 - 3:30 NHK総合

北海道スペシャル
「極北ラジオ 樺太・豊原放送局」

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(オープニング)
今回は…

かつて日本の領土だった樺太。ここに存在した豊原放送局。職員の多くは北海道から配属されラジオ放送に従事。国の号令のもと、国策放送に邁進した。終戦直前、ソビエトの侵攻により樺太は占領下となり、ラジオ局も接収された。番組では、その当時を取材や記録で振り返る。

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オープニング

オープニング映像。

(北海道スペシャル)
極北ラジオ 樺太・豊原放送局

19世紀以降、何度も国境線が引き直されてきた樺太・千島列島。内地からの移住者が開発を進め、1940年には人口40万人に。当時は新聞以外に情報を知る手段がなかったが、日本放送協会がラジオを設立。当時の政府はラジオを利用して国論統一を図る動きを進めていたこともあり、設立は急ピッチで進められた。

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かつて樺太に設置された日本放送協会のラジオ局「豊原放送局」。開局目前の12月8日、太平洋戦争が開戦。豊原でもこのニュースを報道。その18日後、正式に開局。式典も開かれた。放送局は駅から2km離れた公園の一角に作られ、演奏室や応接室など完備。局員は計25名。ニュースのほか、音楽、落語、ドラマなどの娯楽番組も放送し島民に親しまれた。このころ、樺太に戦争の足音はまだ迫っていなかった。

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かつて樺太に設置された日本放送協会のラジオ局「豊原放送局」。戦況が悪化してくると大本営発表の放送が増えるように。政府内では天皇制の廃止を防ぐべくソビエトを介した和平工作が議論されるようになり、ソビエトに南樺太を譲渡する方針も決定された。44年の豊原への新入局員ではほとんどが女性。

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かつて樺太に設置された日本放送協会のラジオ局「豊原放送局」。1945年2月、日本が和平工作の仲介役として期待していたソ連が対日参戦。日本の和平工作は失敗に終わった。8月8日、ソ連が日本との中立条約を破棄し宣戦布告。豊原放送局があった樺太も戦場となり、職員たちは警報放送を行った。8月15日、日本の敗戦を伝える玉音放送。終戦後、樺太では子供や女性中心に緊急疎開が開始。その最中にソ連軍から攻撃され死亡する事例も相次いだ。

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かつて樺太に設置された日本放送協会のラジオ局「豊原放送局」。終戦後、日本軍は樺太死守のため戦いを続行。住民を含めた犠牲者は5000人ともいわれている。45年8月23日、ソビエトの戦車隊が豊原へ進駐。放送局にもソ連兵が押し寄せ、職員らは囚われの身に。最後の放送はソ連からの命令によるもので、ラジオを駅前に持参するよう住民らに命じるものだった。当時の局長・松山清は占領の実態を文書に残している。

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終戦当時、約30万の日本人が残されていた南樺太。占領後、南樺太にソ連からの移民が急増。住居が足りないため、日本人と同居するようになる。当時の日本政府の方針は現地定着方針。内地から来た日本人はそのまま現地に残るよう命じるものだった。日本兵らはシベリアに抑留され、住民の多くもソ連からの命令で重労働を強いられた。

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終戦後の占領から1年が経過したころ、米ソ間で日本人捕虜の引き上げに関する協定が締結。樺太にあった豊原放送局の松山局長は権力者とみなされ、引き揚げを許可されず。当時アナウンサーだった石坂幸子は帰国せずハバロフスクでの日本向け対敵放送に従事。ソ連としてはシベリア抑留の正当性を主張する狙いで、石坂は日本向け番組で捕虜からの手紙を読み上げていた。49年7月、米国統治下の日本に帰国。米諜報機関からはスパイとみなされ、執拗な尋問を受けた。日本では製紙会社に勤務し、82年に病死。

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1951年、日本は南樺太のすべての権利を放棄。豊原放送局はソ連のラジオ局として使われたが、現在は放置されている。当時の職員たちが再び集まることはなかった。

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(エンディング)
エンディング

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