福島第一原発事故で住民ゼロから再スタートした福島・双葉町におととし家族5人で移り住んできた人がいる。震災後、双葉町の復興支援員として町の広報誌などを作る仕事をしていた山根辰洋さんは、同じ支援員だった妻と知り合い結婚。双葉町で生まれ育った妻の意向をくんで避難先の福島・いわき市から双葉町に移住した。現在は駅前の一軒家を借りて生活しているが、最初は線量にもかなり気を使っていたという。山根さんは双葉町の町議会議員を務めながら5年前に観光事業の会社を立ち上げた。インバウンド向けに町の魅力を発信する活動を続けている。海外からのツアー客を招き震災の爪痕が残る町を練り歩いた。津波の被害を受けた沿岸部に建つ伝承館にも案内。山根さんは、原発事故の被害だけではなく、町の歴史や文化なども知ってほしいと考えている。双葉町は2030年までに人口を2000人に増やすことを目標に掲げている。だが町民の多くは避難先で家を建て新たな生活を始めているため、現在住む人の6割が町の外から来た移住者になっている。福島・双葉町移住定住相談センターは、住まいや仕事の情報提供や補助金の紹介などを行っている。移住希望者からの相談は年々増えているという。双葉町移住定住相談センター・土屋省吾移住相談員は「2024年度は延べ60件。去年と同じペースで増えている実感はある」と語った。センターでは双葉町の生活をリアルに体験してもらうため、お試し住宅を用意。最大4泊5日、家族連れで利用することもできる。だが希望者からの相談が増える一方で、新たな問題も生まれている。土屋移住相談員は「駅の西に駅西住宅という(災害)公営住宅があるが、秋ぐらいにいったん満室になり、住居が少ない。入れる住居が」と語った。町は民間アパートなどを増やそうと企業にも働きかけているが、建築資材の高騰の影響で難しく、新たに住宅が建つ予定はないという。
子供の環境を変えたいと駅西住宅に移住してきた女性は「(移住した)子育て世代第1号だと思う」と語った。福島・いわき市で暮らしていたが、息子が学校になじめなかったことなどから、2022年に親子3人で移住。環境が変わったせいか息子は隣町の中学校に通い始め、卒業後は通信制の高校に進学した。今年から、飲食店でアルバイトも始めた。娘は小学4年生。福島・双葉町には今も学校がないため、子供たちは駅から無料の送迎タクシーに乗り、10分ほど走った福島・浪江町・なみえ創成小学校に通っている。かつて浪江町には6つの小学校があったが、原発事故のあと全ての学校が閉校に。7年前、なみえ創成小学校が新たに創設され、現在はこの1校だけ。生徒は全学年合わせて54人。事故前に比べ子どもの数は大幅に減少したが、4月からは転入生も10人ほど加わり少しずつ増えている。なみえ創成小学校・神村崇教頭は「移住で学校に転入している人がいる」と語った。子供が学校に通っている間、女性はパソコンに向かう。もともと飲食店の経理をしていたが在宅ワークが中心だったため、移住しても影響はなかった。福島・双葉町にはスーパーもまだない。買い物は車で隣の福島・浪江町まで行くか、駅前に来る移動販売車で済ませている。それでも不自由さはほとんど感じていないという。女性は「コンビニが24時間開いてなければいけないと思っていたが、開いてなくてもいい。これが本当なのかも」と語った。双葉町に移住して新たなコミュニティーも生まれた。毎週木曜日、駅西の集会所では地域の住民たちが集まり、お茶を飲む会を開いている。いつも欠かさず参加している女性は、ここにいるほとんどの人が顔なじみ。夕方、娘を訪ね外国人向けにツアーを行っていた山根辰洋さんの娘がやってきた。2人は浪江町で行われているダンス教室にも通っている。浪江町も原発事故後、居住者は10分の1ほどに減った。そのうち3分の1が移住者。双葉町で暮らして2年半。いま子供たちは地域の宝として大切に育てられている。女性は「この町は子育てをする環境に適している」と感じている。ダンス教室運営・狩野菜穂さんも事故のあと東京から福島に来た移住者。
新しい住民を呼び込むため更に福島・双葉町が力を入れてきたのは企業誘致。沿岸部のエリアは働く拠点として整備を進め既に22の会社が操業を始めた。2年前にオープンした「ひなた工房福島双葉」は、長野県に本社を置くアパレルメーカーが手がける双葉の拠点。ひなた工房福島双葉工房責任者・田中洋平さんは「ハギレなどから新しいものを作り出す」と語った。特に力を入れているのが衣服の再生事業。復興する双葉町の姿に重ね合わせたビジネス。「ふたば」の名前を入れたシャツも開発。通常15%ほど発生するはぎれを出さない裁断方法で作られている。人の往来がほとんどない双葉町に進出した理由について、フレックスジャパン・矢島一隆執行役員は「もともと大量生産の時代をアパレルは経てきた。そんなモノづくりでいいのかという悩みがある中、出会ったのが双葉町」と語った。苦戦するとみていた人材採用は、県外から多くの応募があった。現在、従業員は5人。うち4人は県外からの移住者。田中さんも双葉町での事業に共感し熊本からの移住を決めた。双葉駅周辺の住宅は人気が高く抽選だったため隣の大熊町から通っている。会社は若者の雇用を更に拡大したいと考えているが、事業としてはまだ採算が取れていないのが現状。福島・双葉町に新規参入した企業には国や県から建設費などの補助金が支給されている。「ひなた工房」も、これからの補助金に加え土地の使用料が免除されていたが、今年11月でその期限が切れる。今後の経営についてフレックスジャパン・矢島一隆執行役員は「現状はこれ一本で売り上げを作るだけの事業にできていない。この5年間は耐え忍んで事業を大きくしていく期間と考えている。ここで事業としてやることに意味があると考えている」と語った。
福島・双葉町にとって、復興の最大の障害が町内に仮置きされている除染作業で出た土の問題。除染土を巡り、双葉町・伊澤史朗町長の「双葉町で再生利用することで、県内の他の自治体にも理解が波及していくのではないかという個人的な考えを伝えている」との発言が波紋を広げている。福島県内から集められた除染土は東京ドーム11個分に相当。残り20年で、福島県外に運び出し最終処分することが法律で決まっているが、膨大な除染土を少しでも減らすことが喫緊の課題。政府は低濃度の除染土について再利用するための実証事業を進めている。しかし候補になった電力消費地の首都圏で反対が起き、事業は進んでいない。発言の真意について、伊澤町長は「残念なことに(中間貯蔵施設)受け入れして10年経ったが、最終処分に対しての議論が進んでいない。理解醸成が進んでいないことが一番の危機的な状況」と語った。いわば双葉町が身を切る形で除染土の町内再利用に言及。被災地以外での議論が深まるきっかけになればと考えている。
子供の環境を変えたいと駅西住宅に移住してきた女性は「(移住した)子育て世代第1号だと思う」と語った。福島・いわき市で暮らしていたが、息子が学校になじめなかったことなどから、2022年に親子3人で移住。環境が変わったせいか息子は隣町の中学校に通い始め、卒業後は通信制の高校に進学した。今年から、飲食店でアルバイトも始めた。娘は小学4年生。福島・双葉町には今も学校がないため、子供たちは駅から無料の送迎タクシーに乗り、10分ほど走った福島・浪江町・なみえ創成小学校に通っている。かつて浪江町には6つの小学校があったが、原発事故のあと全ての学校が閉校に。7年前、なみえ創成小学校が新たに創設され、現在はこの1校だけ。生徒は全学年合わせて54人。事故前に比べ子どもの数は大幅に減少したが、4月からは転入生も10人ほど加わり少しずつ増えている。なみえ創成小学校・神村崇教頭は「移住で学校に転入している人がいる」と語った。子供が学校に通っている間、女性はパソコンに向かう。もともと飲食店の経理をしていたが在宅ワークが中心だったため、移住しても影響はなかった。福島・双葉町にはスーパーもまだない。買い物は車で隣の福島・浪江町まで行くか、駅前に来る移動販売車で済ませている。それでも不自由さはほとんど感じていないという。女性は「コンビニが24時間開いてなければいけないと思っていたが、開いてなくてもいい。これが本当なのかも」と語った。双葉町に移住して新たなコミュニティーも生まれた。毎週木曜日、駅西の集会所では地域の住民たちが集まり、お茶を飲む会を開いている。いつも欠かさず参加している女性は、ここにいるほとんどの人が顔なじみ。夕方、娘を訪ね外国人向けにツアーを行っていた山根辰洋さんの娘がやってきた。2人は浪江町で行われているダンス教室にも通っている。浪江町も原発事故後、居住者は10分の1ほどに減った。そのうち3分の1が移住者。双葉町で暮らして2年半。いま子供たちは地域の宝として大切に育てられている。女性は「この町は子育てをする環境に適している」と感じている。ダンス教室運営・狩野菜穂さんも事故のあと東京から福島に来た移住者。
新しい住民を呼び込むため更に福島・双葉町が力を入れてきたのは企業誘致。沿岸部のエリアは働く拠点として整備を進め既に22の会社が操業を始めた。2年前にオープンした「ひなた工房福島双葉」は、長野県に本社を置くアパレルメーカーが手がける双葉の拠点。ひなた工房福島双葉工房責任者・田中洋平さんは「ハギレなどから新しいものを作り出す」と語った。特に力を入れているのが衣服の再生事業。復興する双葉町の姿に重ね合わせたビジネス。「ふたば」の名前を入れたシャツも開発。通常15%ほど発生するはぎれを出さない裁断方法で作られている。人の往来がほとんどない双葉町に進出した理由について、フレックスジャパン・矢島一隆執行役員は「もともと大量生産の時代をアパレルは経てきた。そんなモノづくりでいいのかという悩みがある中、出会ったのが双葉町」と語った。苦戦するとみていた人材採用は、県外から多くの応募があった。現在、従業員は5人。うち4人は県外からの移住者。田中さんも双葉町での事業に共感し熊本からの移住を決めた。双葉駅周辺の住宅は人気が高く抽選だったため隣の大熊町から通っている。会社は若者の雇用を更に拡大したいと考えているが、事業としてはまだ採算が取れていないのが現状。福島・双葉町に新規参入した企業には国や県から建設費などの補助金が支給されている。「ひなた工房」も、これからの補助金に加え土地の使用料が免除されていたが、今年11月でその期限が切れる。今後の経営についてフレックスジャパン・矢島一隆執行役員は「現状はこれ一本で売り上げを作るだけの事業にできていない。この5年間は耐え忍んで事業を大きくしていく期間と考えている。ここで事業としてやることに意味があると考えている」と語った。
福島・双葉町にとって、復興の最大の障害が町内に仮置きされている除染作業で出た土の問題。除染土を巡り、双葉町・伊澤史朗町長の「双葉町で再生利用することで、県内の他の自治体にも理解が波及していくのではないかという個人的な考えを伝えている」との発言が波紋を広げている。福島県内から集められた除染土は東京ドーム11個分に相当。残り20年で、福島県外に運び出し最終処分することが法律で決まっているが、膨大な除染土を少しでも減らすことが喫緊の課題。政府は低濃度の除染土について再利用するための実証事業を進めている。しかし候補になった電力消費地の首都圏で反対が起き、事業は進んでいない。発言の真意について、伊澤町長は「残念なことに(中間貯蔵施設)受け入れして10年経ったが、最終処分に対しての議論が進んでいない。理解醸成が進んでいないことが一番の危機的な状況」と語った。いわば双葉町が身を切る形で除染土の町内再利用に言及。被災地以外での議論が深まるきっかけになればと考えている。
住所: 長野県千曲市屋代2451
URL: http://www.flexjapan.co.jp/
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