- 出演者
- 伊藤隆佑 村瀬健介 日下部正樹 山本恵里伽 関まどか
オープニング映像。
アメリカ・和平合意圧力・ロシアに経済制裁検討■核兵器禁止条約国会議「廃絶は不可避」宣言■岩手・大船渡山林火災・新たに3地域避難指示解除■京都高齢夫婦切りつけ・指名手配の長男逮捕■特集1:東日本大震災の教訓を能登に生かす■特集2:原発事故の町に移住・子育て家庭に密着
関税を巡っては「カナダがアメリカから輸入する乳製品と木材に不当に高い関税をかけている」として、同じ税率の相互関税をかける考えを示した。アメリカ・トランプ大統領は「カナダは木材や乳製品の関税で何年も我々をぼったくってきた」と不満を表明し、カナダが関税を引き下げなければ全く同じ税率を貸すとしたうえで、早ければ7日中にも課す可能性があると説明。トランプ政権は4日にカナダへの25%の関税を発動した一方、6日には幅広い品目を対象外とすることを決めるなど方針が二転三転している。
アメリカ・トランプ大統領はイランの最高指導者ハメネイ師に書簡を送り、取引に応じるよう呼びかけたことを明らかにした。トランプ大統領は7日、テレビ番組のインタビューでイランの核開発を阻止するためには「軍事的な対処か取り引きの2つの方法しかない」との考えを示した。5日に送った書簡には「交渉に応じることを望む軍事的な対応になれば恐ろしいことになるからだ」と書いたという。トランプ大統領は「イランの人々を傷つけたくないので取り引きを選びたい」と話した。一方イラン国営通信は「イランの国連代表部が今のところそのような書簡を受け取っていない」とする声明を出したなどと報じている。トランプ大統領は先月、イランに対して最大限の圧力をかける方針を表明しているがハメネイ師は強く反発。そのうえで「アメリカとの交渉は賢明ではない」とも述べていて、今後イランがアメリカの呼びかけに応じるかは不透明な情勢。
今月3日から国連本部で開かれていた核兵器禁止条約の第3回締約国会議は「核兵器廃絶は願望ではなく、世界の安全と人類の生存にとって不可欠なものだ」などとする宣言を採択し閉幕した。ロシアによるウクライナ侵攻で核のリスクが高まっていると指摘される中、会議には去年ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の被爆者らも参加し「被爆による悲劇を繰り返してはならない」などと訴えた。ただアメリカやロシアなどの核保有国は、核兵器禁止条約に署名しておらず、アメリカの核抑止力に依存する日本も3年連続でこの会議への参加を見送っている。
自民党は今日午後、明日の党大会を前に地方組織の幹部らを集めた会議を開き、石破総理大臣は「都議選、参院選になんとしても勝ち抜きたい」と結束を呼びかけた。石破総理は「物価高に打ち勝ち、安心される社会保障を示し有権者の理解を得ることが最も肝要だ」と強調した。会議終了後には党の衆参の幹部らが集まり、年金改革関連法案の扱いについて協議する予定。保険料の負担増を伴う内容が盛り込まれていることから、党内には法案提出を参院選後に先送りするよう求める意見が根強く、執行部はそうした声も踏まえて慎重に判断する見通し。
25年前の今日、当時の営団地下鉄日比谷線・中目黒駅と恵比寿駅の間のカーブで下り列車が脱線して上り列車と衝突。乗客5人が死亡し、64人がけがをした。事故が発生した午前9時1分に合わせ、現場近くの慰霊碑では東京メトロ・山村明義社長らが訪れ、犠牲者らを追悼した。山村社長は「このような事故を二度と起こさないこと。安全性の向上に最優先で取り組んでいくことを誓った」と述べた。東京メトロによると事故のあとに入社した職員が全体の約7割に上るということで、脱線事故の教訓をもとに安全意識の向上を更に高めていきたいとしている。
北京五輪スノーボードの金メダリスト・平野歩夢選手がかつてのライバルが立ち上げた新リーグで躍動した。五輪で3度の金メダルを獲得し、スノーボードの神と呼ばれるSホワイトが創設した新リーグ・スノーリーグが、アメリカ・アスペンで開幕。20選手が4グループに分かれ行われた男子予選。各グループトップはその時点で決勝ラウンド進出が決まる。第2グループで平野歩夢が登場し、決勝ラウンド進出を決めた。平野は「納得できる攻めた滑りをなるべくみせていきたい」とコメント。
きょう東京・足立区の小学校で交通安全教室が開かれ、来月、入学を控えた新小学1年生が横断歩道の渡り方や正しい交通ルールを学んだ。警視庁によると1人で行動する機会が増える7歳は事故に遭いやすいことから、「魔の7歳」とも呼ばれ、歩行中の都内の交通事故は過去5年間で計425件と年齢別で最も多くなっている。警視庁は「楽しいことをたくさんするためにも交通ルールをしっかり守って」と呼びかけている。
国連が定める「国際女性デー」の今日、都内では自身の体験を交えながら女性の健康などについて考えるイベントが開かれ、東京の民放テレビ各局とNHKのアナウンサーら7人が参加。各局は今月、女性の生き方などに関する情報を発信する。
八王子駅前の映像とともに全国の天気予報を伝えた。
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東日本大震災から間もなく14年。当時被災した経験から今、能登半島で奮闘する人たちがいる。東日本の教訓を生かすために2つの被災地から震災と復興について考える。石川・珠洲市大谷地区では地震に加え、去年9月には豪雨による土砂災害に見舞われた。今月1日、県外から集まったボランティアたちが手作業で泥のかき出しを行っていた。大谷地区で暮らす男性は、NPO「外浦の未来をつくる会」の仲間たちと毎週ボランティアを募り、近所の復旧作業を手伝っている。地震で倒壊を免れた男性の自宅。しかし半年前の豪雨で土砂が家を襲った。幸い、家には誰もおらず家族は無事だった。現在家族で石川・金沢に避難しているため、男性は車で片道3時間以上かかる金沢と大谷を週に1〜2度行き来している。これから地区の復興をどうしていくべきなのか。手がかりを求め、男性は東日本大震災の被災地に向かった。
地震と豪雨の爪痕が残る石川・珠洲市大谷地区で暮らす男性は先月、復興の手がかりを求め、東日本大震災の被災地・岩手県を訪ねた。男性を迎えたのは能登を支援してきた岩手の人たち。その中の1人、花巻市出身の男性。東日本大震災を経験した男性は全国の被災地に足を運び、能登にも何度も支援に入っている。珠洲市大谷地区で暮らす男性は、能登への支援を通じて花巻市出身の男性と知り合い交流を重ねてきた。翌日、共に津波の被害を受けた沿岸部へ。その後、各地に高い防潮堤が建設された山田町田の浜地区。津波対策として海側の防潮堤に加え、住宅側にも堤防が整備された。2019年の台風19号ではその堤防が山からの雨水や土砂をせき止め被害が拡大。地震と豪雨の被害にあった男性も自然のリスクを実感していた。石川・珠洲市大谷地区で暮らす男性次に向かったのは岩手・釜石市根浜。高い防潮堤をつくらない選択をした地区。14年前、最大の18mの津波がこの地区を襲い10人以上が犠牲となった。しかし砂浜のある観光地として栄えてきたため町内会で話し合った結果防潮堤に頼らない町づくりをすると決めた。男性の関心は住民たちの意見をどのように復興の町づくりに反映させたのかということ。根浜町内会・佐々木雄治事務局長は「高い防潮堤を造っても、それで守れるわけない。やっぱり逃げることが大事。海が見えることが大事。本計画が決まる前に自分たちの考えを出している。一番大事なのはスピード感。個人の意見はダメ。町内会としてまとめなきゃだめ」と語った。生活再建の足掛かりとなる災害公営住宅についても住民たちの意見をまとめ、行政側に戸数や配置を要望したという。男性がこの地区で出会ったのが旅館「宝来館」元女将・岩崎昭子さん。津波にさらわれたが九死に一生を得た。当時、多くの人たちに助けられたが特に印象に残っているのが阪神淡路大震災の被災者からの支援だった。行政ではなく住民主導で復興を遂げた町がいくつもあることを知った石川・珠洲市大谷地区で暮らす男性。しかし住民の力だけでは限界もある。東北沿岸と能登、2つの被災地は今人口流出という同じ課題に直面。岩手・大槌町は津波が町を襲い、当時の人口の1割に当たる1286人が犠牲となった。14年がたち町は今。
岩手・大槌町の中心部の様子。駅前も人通りはまばら。もともと過疎化が進んでいたが、2011年以降は人口流出が加速。東日本大震災前に比べ、約3割、5000人以上減った。町の中心部には高さ14.5m、約360億円かけ巨大な防潮堤が造られた。震災後、国が投じた復興資金は40兆円を超える。しかしインフラの再建が進んだ10年を区切りに予算は大幅に縮小され、その後は福島第一原発事故のあった福島の復興が優先されている。被災直後、この町に支援に入っていた岩手・花巻市出身の男性は、当時の防潮堤を巡る議論について「震災直後は恐怖心でいっぱいだったので、(防潮堤は)高ければ高いほどいいとアンケートに答えた人が多かった。10年経ってできてしまったら、こんな高いの必要だったんだっけと、被災者の心もかわっていく。そこは難しい所。時間がかかりすぎると人も会社も流出を止められなくなるという教訓」と話す。被災地の課題を解決するため岩手・花巻市出身の男性が目をつけたのは「地域の外の力」。震災後、都市と地方をつなぐ事業を立ち上げた。男性は「活力を維持し続けるためにはどうすればいいか考えた時に、人口の共有だと思った」と語った。関係人口とは、観光に来た交流人口と移住した定住人口の間で離れた場所で暮らしながら、その地域との関わりを持ち続ける人々のこと。例えば、その地域の出身者や元居住者、その地に魅力を感じ頻繁に行き来する人などを指し、地域づくりの担い手となることが期待されている。人口流出が課題となっている岩手・大槌町ではその関係人口を増やす取り組みが始まっている。4年前から町が行っている「はま留学」。大槌高校の新入生を全国から募集する取り組み。子どもたちの滞在先は町内の民宿や家庭で今は県外から9人が留学。NPO「カタリバ」のスタッフとして、はま留学を手伝っている東谷いずみさんは、大学進学でいったん大槌町を離れたが、地元を思い戻ってきた。東谷さんは親元を離れた子供たちの生活や地域とのつながりをサポートしている。東谷さんは「留学生たちの成長や変化を作り上げたいというのと同時に、留学生が来たことで地域にとってプラス面があったかというのも事業を考えるうえで大事にしたい」と述べた。町の魅力を知った子どもたちが、卒業後も関係人口として大槌町に関わり続けることが期待されている。
地震と豪雨の爪痕が残る石川・珠洲市大谷地区。人口流出が進む中、復興の担い手をどう確保していけばいいのか。男性は被災地支援を続けている岩手・花巻市出身の男性に相談していた。能登空港内の施設で復興について考える集会が開かれた。輪島や珠洲の住民、能登出身者など40人以上が集まり、中には男性の姿もあった。東日本大震災を経験した花巻市出身の男性は、被災者にしか分からない言葉を能登の人たちに伝えた。能登でも関係人口拡大の兆しが見え始めている。珠洲市大谷地区の男性は「今後地域の外の人の力も借りながら地元の復興につなげていきたい」と考えている。
岩手・大槌町を訪れたときにまず防潮堤の大きさに驚かされた。すぐ近くに海はあるはずなのに波の音も潮の香りも何もしない。震災直後はこれが安心感につながっていたと思うが、14年たった今、町の皆さんがどう感じているのか、改めて復興の難しさを感じた。「関係人口」がポイントになるのでは。能登の物や人に会いにいく関係人口の1人として関わっていきたい。
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福島第一原発事故からの復興を目指す福島・双葉町。住民ゼロからの再スタートを切った町に、いま子育て世代が移住し始めている。2000人規模の町づくりは実現できるのか、いまだ最終処分地が決まらない除染土の行方は。原発事故から間もなく14年になる双葉町。かつて国道は、人が歩くことはできなかったが、今は通行が許可され、少しずつ町に生活が戻り始めている。駅前では電車から降り立つ人の姿も多く見られるようになった。最近オープンしたコーヒー焙煎ショップ「AIu」・深澤諒さんは「地域で焙煎したコーヒーを楽しめるような環境を作りたい」と語った。双葉町は原発事故のあと全町民7000人以上が避難を強いられた。事故から11年が過ぎた2022年8月、駅を中心とする復興拠点で避難指示が解除。町に少しずつ人が戻り始めた。それでも現在、住む人は僅か181人にすぎない。こうした中、町に子育て世帯が増え始めた。
福島第一原発事故で住民ゼロから再スタートした福島・双葉町におととし家族5人で移り住んできた人がいる。震災後、双葉町の復興支援員として町の広報誌などを作る仕事をしていた山根辰洋さんは、同じ支援員だった妻と知り合い結婚。双葉町で生まれ育った妻の意向をくんで避難先の福島・いわき市から双葉町に移住した。現在は駅前の一軒家を借りて生活しているが、最初は線量にもかなり気を使っていたという。山根さんは双葉町の町議会議員を務めながら5年前に観光事業の会社を立ち上げた。インバウンド向けに町の魅力を発信する活動を続けている。海外からのツアー客を招き震災の爪痕が残る町を練り歩いた。津波の被害を受けた沿岸部に建つ伝承館にも案内。山根さんは、原発事故の被害だけではなく、町の歴史や文化なども知ってほしいと考えている。双葉町は2030年までに人口を2000人に増やすことを目標に掲げている。だが町民の多くは避難先で家を建て新たな生活を始めているため、現在住む人の6割が町の外から来た移住者になっている。福島・双葉町移住定住相談センターは、住まいや仕事の情報提供や補助金の紹介などを行っている。移住希望者からの相談は年々増えているという。双葉町移住定住相談センター・土屋省吾移住相談員は「2024年度は延べ60件。去年と同じペースで増えている実感はある」と語った。センターでは双葉町の生活をリアルに体験してもらうため、お試し住宅を用意。最大4泊5日、家族連れで利用することもできる。だが希望者からの相談が増える一方で、新たな問題も生まれている。土屋移住相談員は「駅の西に駅西住宅という(災害)公営住宅があるが、秋ぐらいにいったん満室になり、住居が少ない。入れる住居が」と語った。町は民間アパートなどを増やそうと企業にも働きかけているが、建築資材の高騰の影響で難しく、新たに住宅が建つ予定はないという。
子供の環境を変えたいと駅西住宅に移住してきた女性は「(移住した)子育て世代第1号だと思う」と語った。福島・いわき市で暮らしていたが、息子が学校になじめなかったことなどから、2022年に親子3人で移住。環境が変わったせいか息子は隣町の中学校に通い始め、卒業後は通信制の高校に進学した。今年から、飲食店でアルバイトも始めた。娘は小学4年生。福島・双葉町には今も学校がないため、子供たちは駅から無料の送迎タクシーに乗り、10分ほど走った福島・浪江町・なみえ創成小学校に通っている。かつて浪江町には6つの小学校があったが、原発事故のあと全ての学校が閉校に。7年前、なみえ創成小学校が新たに創設され、現在はこの1校だけ。生徒は全学年合わせて54人。事故前に比べ子どもの数は大幅に減少したが、4月からは転入生も10人ほど加わり少しずつ増えている。なみえ創成小学校・神村崇教頭は「移住で学校に転入している人がいる」と語った。子供が学校に通っている間、女性はパソコンに向かう。もともと飲食店の経理をしていたが在宅ワークが中心だったため、移住しても影響はなかった。福島・双葉町にはスーパーもまだない。買い物は車で隣の福島・浪江町まで行くか、駅前に来る移動販売車で済ませている。それでも不自由さはほとんど感じていないという。女性は「コンビニが24時間開いてなければいけないと思っていたが、開いてなくてもいい。これが本当なのかも」と語った。双葉町に移住して新たなコミュニティーも生まれた。毎週木曜日、駅西の集会所では地域の住民たちが集まり、お茶を飲む会を開いている。いつも欠かさず参加している女性は、ここにいるほとんどの人が顔なじみ。夕方、娘を訪ね外国人向けにツアーを行っていた山根辰洋さんの娘がやってきた。2人は浪江町で行われているダンス教室にも通っている。浪江町も原発事故後、居住者は10分の1ほどに減った。そのうち3分の1が移住者。双葉町で暮らして2年半。いま子供たちは地域の宝として大切に育てられている。女性は「この町は子育てをする環境に適している」と感じている。ダンス教室運営・狩野菜穂さんも事故のあと東京から福島に来た移住者。
新しい住民を呼び込むため更に福島・双葉町が力を入れてきたのは企業誘致。沿岸部のエリアは働く拠点として整備を進め既に22の会社が操業を始めた。2年前にオープンした「ひなた工房福島双葉」は、長野県に本社を置くアパレルメーカーが手がける双葉の拠点。ひなた工房福島双葉工房責任者・田中洋平さんは「ハギレなどから新しいものを作り出す」と語った。特に力を入れているのが衣服の再生事業。復興する双葉町の姿に重ね合わせたビジネス。「ふたば」の名前を入れたシャツも開発。通常15%ほど発生するはぎれを出さない裁断方法で作られている。人の往来がほとんどない双葉町に進出した理由について、フレックスジャパン・矢島一隆執行役員は「もともと大量生産の時代をアパレルは経てきた。そんなモノづくりでいいのかという悩みがある中、出会ったのが双葉町」と語った。苦戦するとみていた人材採用は、県外から多くの応募があった。現在、従業員は5人。うち4人は県外からの移住者。田中さんも双葉町での事業に共感し熊本からの移住を決めた。双葉駅周辺の住宅は人気が高く抽選だったため隣の大熊町から通っている。会社は若者の雇用を更に拡大したいと考えているが、事業としてはまだ採算が取れていないのが現状。福島・双葉町に新規参入した企業には国や県から建設費などの補助金が支給されている。「ひなた工房」も、これからの補助金に加え土地の使用料が免除されていたが、今年11月でその期限が切れる。今後の経営についてフレックスジャパン・矢島一隆執行役員は「現状はこれ一本で売り上げを作るだけの事業にできていない。この5年間は耐え忍んで事業を大きくしていく期間と考えている。ここで事業としてやることに意味があると考えている」と語った。