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「ベトナム戦争」 のテレビ露出情報

第一次世界大戦。大きな戦争がしばらくなかったヨーロッパでは戦争をロマンチックな冒険と考える若者も少なくなったという。ただそこには新たに開発された大量破壊兵器が待ち構えていた。兵士たちは塹壕で死の恐怖にさらされて、シェルショックという症状を発症する兵士が相次いだという。こうした戦争による症状を戦争神経症と総称されるようになった。イギリス軍二等兵のハリー・ファーはシェルショックになり部隊の足手まといになり、軍法会議で臆病剤で死刑になったという。
各国の軍医は戦争神経症の多くは仮病だと考えていたという。そのため医師たちは心身を鍛え直す治療を行ったという。一方で戦争神経症を正確に捉え直そうとしたジークムント・フロイトは兵士たちの心の葛藤に耳を傾けるのが大事だと語った。日中戦争で日本でも戦争神経症の兵士が出てきていた。またアメリカでも沖縄戦などで心に傷を負ったアメリカ軍兵士が出てきていた。
アメリカ陸軍は射撃訓練を一新し、ベトナム戦争に臨んだ。ベトナム戦争は泥沼化してサーチアンドデストロイという方法が行われ、ゲリラとは無関係な民間人を巻き込んで殺すこともあったという。ベトナム戦争後、ベトナム帰還兵が戦争体験を告白するイベントでは、国家によって敵を殺すことを刷り込まれた若者たちは怒りをぶちまけた。そしてその後、アメリカ精神医学会のマニュアルに「PTSD」という病名が加えられ、兵士の負った心の傷はようやく病気と認められるようになったという。
イラク戦争への訓練ではイラクの街が精密に再現されて、ハリウッドのメイクで負傷者にもリアリティをもたせている。戦争の混乱を擬似体験できるように設計されているという。またイラク戦争では兵士の武器の使用にも厳しい制約が課されたという。ただアフガニスタンやイラクに派遣された兵士のうち、戦闘での死者は7057人だが、その4倍の3万人あまりが自殺しているという。
イギリス・ロンドンではハリー・ファーの娘が亡き父の名誉を取り戻すために国を相手に裁判をしているという。結果、臆病剤で死刑にされたハリー・ファーが90年経過して恩赦されることになったという。そうした中でも世界から戦果は消えてない。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年10月17日放送 10:05 - 10:55 NHK総合
キャッチ!世界のトップニュース映画で見つめる世界のいま
「ワン・バトル・アフター・アナザー」を紹介。藤原帰一さんはキーワードをあげるとすれば、人種差別と移民迫害だとした。原作ではベトナム戦争とレーガン大統領、本作ではイラク戦争とトランプ大統領を描いている。主演のレオナルド・ディカプリオが頼りない男だが、一人娘のことが何よりも大切、情けないほど頼りないが愛情深い幅広い役を演じているという。ショーン・ペンは白人至上主[…続きを読む]

2025年10月9日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
視聴者からLINEで質問・意見を募集している。パネルコーナーはTVer・ABEMAで配信中。
ノーベル平和賞はあす午後6時頃発表される。トランプ大統領はノーベル平和賞受賞の功績をアピールした。専門家は「アルメニア・アゼルバイジャンの和平協定以外はノーベル平和賞を意識したもの」と話した。ネタニヤフ首相はトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦したと明かした。各国[…続きを読む]

2025年9月28日放送 18:30 - 20:50 テレビ東京
池上彰×吉永小百合 昭和100年(池上彰×吉永小百合 昭和100年)
吉永さんはベトナム戦争があった地を巡っており「見て歩くことで自分が知らなかった場所や知らなかったことを知るために博物館や記念館はきちっと行くようにしている。(今年は戦後80年だが)戦後100年になるといいですね」などと話した。池上さんは「吉永さんは東京大空襲の直後にお生まれになったんですよね」と言うと吉永さんは「直後といいますが、私の方の地区は渋谷区なんです[…続きを読む]

2025年8月16日放送 18:56 - 21:54 テレビ朝日
池上彰のニュースそうだったのか!!池上彰の戦後80年SP 日本の第二次世界大戦
今年は戦後80年の節目の年。終戦の日、日本では犠牲者を追悼し平和を認識する雰囲気になる。アメリカの終戦日は9月2日も9月初旬は「労働者の日」という印象。第二次世界大戦は完全勝利したため思い入れがない人も多い。ニューヨークには空母イントレピッドが展示されている。日本の戦艦「武蔵」「大和」と戦い撃沈に繋げたという勝利の象徴。博物館として内部が公開され観光名所とな[…続きを読む]

2025年8月12日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
黒井慶次郎さんは、満州事変の翌年の1932年に召集令状が届き20歳で入隊。中国での戦闘に2年間加わった。その後、太平洋戦争が始まる1941年に再び召集され中国戦線に投入された。当時慶次郎さんがしるした日記には「荒れ狂う北満の寒風の中、砲煙弾雨の中を物ともせず堂々と進む我戦車の偉容」と使命感が表れた勇ましい言葉が並んでいた。しかし戦地から戻った慶次郎さんから勇[…続きを読む]

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