ウクライナのキーウがナチスに占領されていた1941年9月下旬、キーウとその周辺にいたユダヤ人たちは町外れの「バビ・ヤール」という谷に連行され、2日間で3万3000人以上が銃殺された。「銃弾によるホロコースト」とも呼ばれている。キーウに拠点を置く「バビ・ヤール・ホロコースト・メモリアルセンター」が、当時の状況を調査している。虐殺の後、ナチスは谷の壁を爆破して遺体を埋めた。さらに大量殺戮を隠蔽するため、徹退時に捕虜に遺体を掘り起こさせ焼却したとされている。現在のバビ・ヤールは地形が変わり、当時の面影はない。ホロコーストから時間が経ち証言できる人も少なくなる中、2020年にセンターが悲惨な歴史を伝える一大プロジェクトとして博物館やモニュメントの建設を開始した。ところが建設中にロシアによる軍事侵攻が始まり中断し、再開の目処は立っていない。今は博物館が完成したときに備え、調査研究を進めている。約80年前にウクライナ西部にあった「ゲットー」で暮らしていたポリス・ザバルコさんは、プロジェクトに協力する生存者。「ロシアによる軍事侵攻で、ホロコースト生存者が命を落としている。これはユダヤ人にとって、2度目の悲劇だ」などと述べた。生き残った自分たちの声こそが、次の世代への教訓になるとザバルコさんは話している。