岡山・笠岡市に暮らす84才の秀平良子さんは墓前で父親への深い想いを込めて手を合わせる。納められているのは10年前に亡くなった母親の遺骨。父親の遺骨は戦地から戻ってきていない。父親の清さんは、1943年に海軍に入隊し、翌年、激戦地のパラオ諸島などに上陸。ニューギニア島マノクワリの野戦病院で30歳で亡くなる(脚気・アメーバ赤痢)。戦争で父親を亡くし、母親に育てられた秀平さん。秀平さんは「父の骨の小指1本でも母と一緒のお墓に入れて上げたい」と話す。1952年から始まった国の海外での遺骨収集事業。声なき遺骨に秀平さんは耳を傾け、問いかける。
国の事業によるこれまでの遺骨の収容数は約35万柱。しかし遺族の高齢化などにより収集のペースは年々減少している。2016年には遺骨収集を国の責務とする法律が成立したが、コロナ禍で事業は一時停滞。昨年度収容された遺骨は204柱にとどまっている。去年5月、秀平さんの長年の願いが形になった。インドネシアとの遺骨収集の協定が締結され、父親が亡くなった国での活動を開始。かつて母親とともに異例に訪れたマノクワリ。来年1月にはこの地で父の遺骨を探したいと秀平さんは語る。母親と同じ場所で父親もやすらかに眠らせて上げたい。秀平さんの海を超えた思いは続いている。
国の事業によるこれまでの遺骨の収容数は約35万柱。しかし遺族の高齢化などにより収集のペースは年々減少している。2016年には遺骨収集を国の責務とする法律が成立したが、コロナ禍で事業は一時停滞。昨年度収容された遺骨は204柱にとどまっている。去年5月、秀平さんの長年の願いが形になった。インドネシアとの遺骨収集の協定が締結され、父親が亡くなった国での活動を開始。かつて母親とともに異例に訪れたマノクワリ。来年1月にはこの地で父の遺骨を探したいと秀平さんは語る。母親と同じ場所で父親もやすらかに眠らせて上げたい。秀平さんの海を超えた思いは続いている。