およそ30年前日本がコメの市場を部分的に開放した自由貿易交渉の舞台裏が、きょう公開された外交文書と細川元総理への取材で明らかになった。1993年に妥結した自由貿易を巡る多国間交渉「ウルグアイラウンド」。米国などが日本にコメの市場開放を迫る中、当時の細川政権は「1粒たりとも入れない」という方針を大きく転換し、最低限のコメを海外から輸入するミニマムアクセスという妥協案を受け入れた。きょう公開された外交文書では、当時、事務局が日本に対し交渉に合意するよう強く迫っていた手紙などが明らかになった。細川元総理大臣によると、実は向こうからの要求は建前で、日米の政府間では秘密裏にコメの部分開放で合意していたという。しかし、細川氏は当時、日米交渉の存在を徹底的に否定。この話が漏れると多国間交渉が破綻してしまうため、ウルグアイラウンドを成功させるには秘密裏に進めることが不可欠だったと話した。