1964年の東京オリンピックでバレーボール男子は国際大会初の銅メダルを獲得した。しかし世間の注目を集めた金メダルを獲得したバレーボール女子”東洋の魔女”だった。翌日開かれた祝勝会は女子だけだった。松平康隆監督監督は今に見てやがれ、金メダル取ってたたきつけてやると思ったと話す。金メダル獲得のためにCクイック、時間差攻撃などの新技を開発した。森田淳悟は一人時間差を生み出した。特に力を注いだのは守備力の強化。レシーブ習得は全選手への至上命題だった。松平監督はアニメの企画をテレビ局に売り込み、金メダル獲得までを同時進行で描くことで自ら退路を断った。1972年のミュンヘン五輪では準決勝でブルガリアと対戦し連続で2セット落としてしまう。南将之の投入で流れを掴み逆転勝利した。決勝では東ドイツを破り悲願の金メダルを獲得した。