仙台駅東口から徒歩1分の所にある半田屋を紹介。自分で料理を選び会計するタイプの大衆食堂。昼時は満席で終電が終わった夜中1時でも客が並んでいた。店は創業70年以上で仙台市民の誰もが知る店。半田屋の24時間密着取材を行う。24時間の来客数は1021人で提供食品数は3514品。店には24時間繁盛を可能にする秘密が17個あった。店は セルフのため、客が商品を選び、会計後にレンジで自分で温めるなどして食べることができる。お茶や調味料の使用、片付けなどもセルフサービスとなっているという。メニュー数は常時80種類以上。秋刀魚の塩焼きや煮物、豚キムチなど200円以下で食べられるものや、540円のカツ丼や420円のライスカレーなどのご飯物もある。期間限定メニューはレジキーには登録されていないもの。ご飯だけでも5種類の盛り方がある。
24時間繁盛店の秘密として、汁物やご飯ものはレジで直接注文する点があげられる。レジを担当するやす子は教えてもらいながら実践する。しかし、メニュー名とボタンの位置を覚えていないため、時間がかかってしまう。そうこうする間にレジがつまりはじめたため、やす子は一時見学へ。その間にフロアに出て、商品と価格を覚え始めた。その作業後のレジでは、以前に比べスムーズにレジ打ちができるように。昼のピークタイムを迎え、レジ前に行列ができるが、 なんとか対応していた。客の中には1日に2回来ることもある人もいるという。里芋のそぼろ煮は大きなひき肉が入っていて食べ応えがあるという。
半田屋で注文が殺到するカレーとはどんなものなのか。豚肉と大きめ野菜がたっぷり入り、オリジナルブレンドのカレー粉を加えとろとろになるまで弱火で煮込んだもの。ノッてきたやす子は猛スピードでレジをさばいていった。 ランチ時の来客数は285人。提供した料理数は652品だった。午後2時、ランチタイムを過ぎても満席は続く。朝からやたらと注文されるのが豚汁。客からは豚汁が「一番旨い」、「毎日食べても飽きない」などの声があがっていた。半田屋の豚汁は、1日に50キロ使用する玉ねぎを豚肉と炒め、そのほか野菜を加え、かつお出汁とブレンド味噌で味付けしたもの。1回に作る量は約70杯分だという。店では豚汁は1時間毎に作り続けるという。豚汁に合わせてご飯も欲しくなるため、米も常に炊きたてで1日100キロ炊くという。
2時30分になり、まかないタイムへ。まかないは食べたいものを好きなだけOKだという。豚汁を食べたやす子はおふくろの味って感じとコメント。ライスカレーは、具が大きいが食べやすいとのこと。鯖の味噌煮は1週間に2回くらい食べると店員の岡田さんは話した。JRの人も来店するし、昼は会社員も多く来店するという。土日は家族連れが多いという。やす子は再び仕事へ。3時になっても客は途切れない。この時間から厨房では夜営業に向け、大量の仕込みが始まっていた。1日に鯖200尾と秋刀魚120尾を捌くという。1日にあげる唐揚げの量は500個。厨房は常に7人体制。この人数で80種類のメニューを仕上げていく。厨房でのやす子の仕事は玉ねぎのカット。野菜は1日に90キロ分をカットするという。その後、料理好きのやす子は豚汁作りを任されることに。野菜を炒め、煮込む間にこんにゃくを刻む。具が崩れないように煮込み続け、豚汁が完成した。ここでやす子の仕事が終了。
その後やってきた河本。河本もレジから仕事開始。午後7時、気温は氷点下にも関わらず客が次々と来店し満席に。寒さから夜に増える注文が温かい麺もの。麺ものは注文後に1杯ずつ調理する。また、夜営業で増えてくるのが晩酌客。生ビールもセルフサービス。河本は、レジの作業が遅く渋滞を招いていた。そのため、皿洗いへ回された。その後ベテランスタッフが猛スピードで捌き、夕食時に来店したのは315人で注文数は826品だった。夜11時になっても店内はほぼ満席。
終電がなくなった午前1時でも、来店客があり、店内には多くの客の姿があった。深夜は始発待ちと締めの需要で賑わうという。午前2時には、11回目の豚汁づくり。料理は24時間常に作り続けるという。店が落ち着いてきたところで河本も休憩。店は1954年めしのはんだやとして創業。24時間営業となったきっかけは80年代。当時はコンビニとかもなく、街には明かりが灯っていない状態だったが、地元の方に温かい食事を24時間提供できるような店にしたいと当時の社長が考え24時間営業になったという。しかし、その営業を続けられなくなる事態が起きた。東日本大震災で物流なども復旧していなかったが、こんな時だからこそ安心して温かいご飯を食べてもらいたいと食材をかき集め、震災3日後から24時間営業を再開したという。半田屋の明かりと料理は地元の人たちを大いに元気づけたという。朝5時、搬入口には500キロの食材が届いた。24時間の営業で3514品を提供した。
24時間繁盛店の秘密として、汁物やご飯ものはレジで直接注文する点があげられる。レジを担当するやす子は教えてもらいながら実践する。しかし、メニュー名とボタンの位置を覚えていないため、時間がかかってしまう。そうこうする間にレジがつまりはじめたため、やす子は一時見学へ。その間にフロアに出て、商品と価格を覚え始めた。その作業後のレジでは、以前に比べスムーズにレジ打ちができるように。昼のピークタイムを迎え、レジ前に行列ができるが、 なんとか対応していた。客の中には1日に2回来ることもある人もいるという。里芋のそぼろ煮は大きなひき肉が入っていて食べ応えがあるという。
半田屋で注文が殺到するカレーとはどんなものなのか。豚肉と大きめ野菜がたっぷり入り、オリジナルブレンドのカレー粉を加えとろとろになるまで弱火で煮込んだもの。ノッてきたやす子は猛スピードでレジをさばいていった。 ランチ時の来客数は285人。提供した料理数は652品だった。午後2時、ランチタイムを過ぎても満席は続く。朝からやたらと注文されるのが豚汁。客からは豚汁が「一番旨い」、「毎日食べても飽きない」などの声があがっていた。半田屋の豚汁は、1日に50キロ使用する玉ねぎを豚肉と炒め、そのほか野菜を加え、かつお出汁とブレンド味噌で味付けしたもの。1回に作る量は約70杯分だという。店では豚汁は1時間毎に作り続けるという。豚汁に合わせてご飯も欲しくなるため、米も常に炊きたてで1日100キロ炊くという。
2時30分になり、まかないタイムへ。まかないは食べたいものを好きなだけOKだという。豚汁を食べたやす子はおふくろの味って感じとコメント。ライスカレーは、具が大きいが食べやすいとのこと。鯖の味噌煮は1週間に2回くらい食べると店員の岡田さんは話した。JRの人も来店するし、昼は会社員も多く来店するという。土日は家族連れが多いという。やす子は再び仕事へ。3時になっても客は途切れない。この時間から厨房では夜営業に向け、大量の仕込みが始まっていた。1日に鯖200尾と秋刀魚120尾を捌くという。1日にあげる唐揚げの量は500個。厨房は常に7人体制。この人数で80種類のメニューを仕上げていく。厨房でのやす子の仕事は玉ねぎのカット。野菜は1日に90キロ分をカットするという。その後、料理好きのやす子は豚汁作りを任されることに。野菜を炒め、煮込む間にこんにゃくを刻む。具が崩れないように煮込み続け、豚汁が完成した。ここでやす子の仕事が終了。
その後やってきた河本。河本もレジから仕事開始。午後7時、気温は氷点下にも関わらず客が次々と来店し満席に。寒さから夜に増える注文が温かい麺もの。麺ものは注文後に1杯ずつ調理する。また、夜営業で増えてくるのが晩酌客。生ビールもセルフサービス。河本は、レジの作業が遅く渋滞を招いていた。そのため、皿洗いへ回された。その後ベテランスタッフが猛スピードで捌き、夕食時に来店したのは315人で注文数は826品だった。夜11時になっても店内はほぼ満席。
終電がなくなった午前1時でも、来店客があり、店内には多くの客の姿があった。深夜は始発待ちと締めの需要で賑わうという。午前2時には、11回目の豚汁づくり。料理は24時間常に作り続けるという。店が落ち着いてきたところで河本も休憩。店は1954年めしのはんだやとして創業。24時間営業となったきっかけは80年代。当時はコンビニとかもなく、街には明かりが灯っていない状態だったが、地元の方に温かい食事を24時間提供できるような店にしたいと当時の社長が考え24時間営業になったという。しかし、その営業を続けられなくなる事態が起きた。東日本大震災で物流なども復旧していなかったが、こんな時だからこそ安心して温かいご飯を食べてもらいたいと食材をかき集め、震災3日後から24時間営業を再開したという。半田屋の明かりと料理は地元の人たちを大いに元気づけたという。朝5時、搬入口には500キロの食材が届いた。24時間の営業で3514品を提供した。
