パルらは1988年10月3日、窓にハシゴを掛け窓を割り絵を盗んだ。しかし窓の数を数え間違え違う絵を盗んでしまった。それでも盗んだのはムンクの「愛と痛み」とい作品。たちまち大ニュースになった。パルは絵を自分が経営するビリヤード場の天井に隠した。ビリヤード場は警察官のたまり場だったという。ある日、仲間が「愛と痛み」を金に換えたいといい買い手を探しまわることに。それが警察の耳に入り、警察の標的に。パルは懲役が短くなると思い自首した。判決は懲役4年の実刑判決。パルは服役中に1994年の冬季オリンピックの開催地はリレハンメルに決定したことを知った。パルはオスロの警備が手薄になると盗みの準備に取り掛かることにした。1992年、出所したパルは仲間を探し、たまたま知り合ったホームレスを金で雇い実行役に。オスロ国立美術館を訪れ叫びがどこにあるか何度も確かめた。1994年2月12日、朝6時30分、ホームレスがオスロ国立美術館にハシゴを掛け窓を割った。