清水の幼なじみで元日本代表の白幡圭史は、少年時代に北海道の大会で見てフォームもきれいで速かったと話した。清水は3歳でスケートに出会い、非凡な才能を確信した父・均さんはスケートの素人ながら自らスケートの熱血指導を始めた。白樺学園高に進学すると身長の壁にぶち当たった。160センチに満たなかった清水は競技成績も伸び悩んだ。高2で均さんが亡くなり、清水は学校の練習がなくても自主的にトレーニングをするようになり高3には日本トップの実力をつけた。白幡は、オリンピックでメダルをとるのが恩返しだったんじゃないかと話した。清水は100m通過タイムを9秒台にのせることを目標にした。リレハンメル五輪に出場するも結果は5位。金メダルのゴルベフと比べ、100m通過タイムは0.21秒差があった。大学の後輩だった山影博明は、リレハンメルのあとにスタートのパワーを生み出す下半身の筋力トレーニングを始めた、体の仕組みを理解するため解剖実習に参加していたと話した。1996年の国際大会では100m通過タイムをリレハンメルから0.32秒縮め、優勝した。これはロケットスタートと名付けられ、清水の代名詞となった。迎えた長野五輪で、清水は金メダルを獲得した。
