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「レイテ戦記」 のテレビ露出情報

1944年10月に始まったフィリピン・レイテ島の戦い。日本は劣勢を盛り返そうと”日米の雌雄を決する天王山”と位置付けたがアメリカの圧倒的戦力を前に大敗。日本兵約8万4000人のうち9割以上が命を落とす凄惨な戦いとなった。児童文学作家として活動してきた松岡節さん(90)。松岡さんの父・勝田太郎さんはレイテ島の戦いで36歳で戦死。陸軍大学校を卒業した軍のエリートだった勝田さん。レイテ島の戦いで中心的な役割を担った第一師団で参謀を務めた。記憶に残る優しくも威厳に満ちた父。しかし、帰還兵らの証言を基に書かれた戦記小説には「勝田参謀はおびえて、仕事も手につかなくなった」と軍人としては弱々しい姿で描かれている。父は本当に戦記小説で描かれたような人物だったのか、確かめのようのない思いを長年抱えながら生きてきた。そんな松岡さんに転機が訪れる。去年放送したこの番組でレイテ島の戦いで生き残った男性が今も健在であることを知った。去年12月に松岡さんは男性を訪ねた。松本實さん(102)。当時、勝田さんと同じ師団司令部に所属。弾薬や食料の輸送の責任者である後方参謀だった勝田さんが安全な参謀室に留まることなく現場で指揮する姿が印象に残っているという。戦記小説ではほとんど描かれなかった行動力溢れる父の姿。そして話は父と松本さんの最後の会話に及んだ。レイテ島の戦いの終盤。敗色が濃厚になる中、勝田さんと松本さんの部隊に命令が下り、レイテ島から脱出することになった。松本さんは船で脱出したが、勝田さんはレイテ島に留まり戦死した。勝田さんについて戦記小説では「残留組に組み込まれた不幸な軍人」と記されている。しかし、松本さんが語る父の姿は違っていた。実は脱出の前の晩に勝田さんは松本さんにレイテ島に残る決意を語っていた。初めて知った軍人としての父の覚悟。心のわだかまりがようやく溶けた瞬間だった。今年、松本さんとの出会いをきっかけに松岡さんは父の生涯を記録に残し始めている。激しい戦況が記された父の日誌を読み返すと短歌があった。戦地で命を落とした仲間を悼む思いが詠まれていた。父が生きた証をたどりながら松岡さんは平和への願いを綴る。松岡さんは父の生涯の記録を今年中に完成させたいとのこと。出版予定は無いとのことだが希望があれば公開したいとしている。

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