藤波朱理は中学2年生から勝ち続け公式戦133連勝。藤波朱理に自身を作り上げてもらうものを書き出してもらった。一番に書いたのはレスリングでオリンピック金メダル。その次に出てきたのは食べることであった。性格では前向きや飽き性だという。尊敬する人は母親。小さな頃からいつも励ましてくれたという。父は国体優勝経験もありコーチとして二人三脚で歩んできた。
3年前父は日本体育大学のコーチに就任した。翌年藤波朱理も同じ指導を受けるため同じ大学に進学した。父は「教員を辞めて後悔はしていない」などと話した。藤波朱理は4歳のときからレスリングを始めた。初めて出場した全国大会では試合で負け涙を流した負けず嫌いの姿があった。悔しさを糧にきつい練習にも手を抜くことなくひたむきに取り組んできた。最大の武器が脚を触らせない動き。その動きについて父は「常に動いている」などと話した。相手が攻撃を仕掛けたときにはすでに藤波の脚はそこにないという。この最大の防御こそが29試合連続無失点という金字塔の原動力になっていた。さらに脚をとらせない動きは攻撃にもつながっている。相手がタックルを狙いに脚をとりにくるも藤波はとらせないため相手の状態が崩れ得点。攻めてきた一瞬のスキを逃さずカウンターを決めていた。藤波朱理は「実戦練習で脚を触らせないことを意識してやってます」などと話した。普段の練習では女子選手とのスパーリングだけではなく自分よりパワーのある男子選手とも手をあわせていた。
3年前父は日本体育大学のコーチに就任した。翌年藤波朱理も同じ指導を受けるため同じ大学に進学した。父は「教員を辞めて後悔はしていない」などと話した。藤波朱理は4歳のときからレスリングを始めた。初めて出場した全国大会では試合で負け涙を流した負けず嫌いの姿があった。悔しさを糧にきつい練習にも手を抜くことなくひたむきに取り組んできた。最大の武器が脚を触らせない動き。その動きについて父は「常に動いている」などと話した。相手が攻撃を仕掛けたときにはすでに藤波の脚はそこにないという。この最大の防御こそが29試合連続無失点という金字塔の原動力になっていた。さらに脚をとらせない動きは攻撃にもつながっている。相手がタックルを狙いに脚をとりにくるも藤波はとらせないため相手の状態が崩れ得点。攻めてきた一瞬のスキを逃さずカウンターを決めていた。藤波朱理は「実戦練習で脚を触らせないことを意識してやってます」などと話した。普段の練習では女子選手とのスパーリングだけではなく自分よりパワーのある男子選手とも手をあわせていた。