NHKアーカイブス映像で7月4日の出来事を振り返る。昭和41年7月4日、政府は新東京国際空港の建設地を千葉県成田市三里塚にすることを閣議決定した。当時羽田空港は航空機の発着が増え続け、数年後に限界に達すると予測されていたたため新しい国際空港の建設が急がれていた。候補地には当初、茨城県の霞ヶ浦や千葉県の富里などが挙がったが、地元自治体や住民の反対を受け難航。急きょ建設規模を縮小し、国有地や県有地、戦後の開拓地からなる三里塚に決定した。これに対し地元の農民らが反発。反対同盟を結成し、建設に抵抗。学生や労働者も支援に加わりいわゆる「成田闘争」に発展した。建設は大幅に遅れ、昭和53年にようやく開港を迎えた。