前回は阿弥陀如来と菩薩の違いについて学んできたが、如来とは釈迦が悟りを得た姿で比較的簡素な服装をしている。これに対し菩薩は釈迦が悟りを得るため修行中の姿となっていて、王子であることから装飾も身に着けている。そして、如来と菩薩を補佐するのが明王や天という存在なのだという。東京・青梅市の塩船観音寺は千手観音だけでなくその両隣に明王と天が14種ずついるが、明王とは如来や菩薩が姿を変えた仏であり仏教の言うことを聞かない人を正しい道に導く存在だという。橋本紘彰さんは仏教の言う事を聞かない人にも教えがいきわたるようにする存在なのだと紹介した。実際に不動明王は力強さが表情にも見られる。不動明王は空海が唐から持ち帰った五大明王の1つであり、鎌倉時代の仏師・運慶の「不動明王立像」は背中に燃え盛る火炎がみられ人々を救う強い決意が表れている。愛染明王は愛情や情欲をつかさどり欲望を悟りの心に変えるとされる。孔雀明王は孔雀が毒を食べることからむさぼり・怒り・愚かさといった災いや苦痛を取り除くとされてきた。そして、天とは仏教に取り入れられた古代インドの神であり、如来や菩薩を守護しながら人々に現世利益を与える神であり、戦国武将・上杉謙信が真言を唱えて戦に向かったことで知られる毘沙門天だが、運慶の「毘沙門天立像」は鬼気迫る表情で人々を救おうとする姿が見られた。最高位の帝釈天はインド神話最強の神であり、元々は悪い神だった阿修羅を仏教に導いたことで知られる。橋本さんは寺の仏像によって異なる姿をしているが、仏像というものを一つの芸術という味方をして目で見て楽しんでいただくことも仏教の入口だと話していた。