江戸後期、長州藩の学校「明倫館」が作られ広さは1万5000坪。かつて藩士たちが泳ぎを習ったプールが残っており、土地を知る手がかりにもなっている。明倫館が出来る前の古地図には周辺は一面の田んぼで低湿地となっていた。明治に入ると日本各地の城下町では武家屋敷の取り壊しが行われ、役場や警察など公共施設が建設された。しかし萩には城下町の側に手付かずの広大な低湿地があった。これを活用し萩の城下町は取り壊しを免れた。
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