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「中京区(京都)」 のテレビ露出情報

西暦809年、遷都間もない平安京から北西に8キロ離れた山寺「神護寺」に一人の僧侶がやってきた。この僧侶が日本の仏教の歴史を変えることとなる。やってきた僧侶が暮らした場所にこけらぶきの建物「大師堂」が捧げられている。僧の名は空海。唐の都・長安で、インドよりもたらされた最新の教えのすべてをわずか半年で会得。師の遺言で密教を伝えるため来日。拠点を構えたのが神護寺だった。824年、それまでただの山寺だった神護寺は国が認める寺へと昇格した。この時、空海が別の寺から迎え入れたとされているのが国宝・薬師如来像。奈良から平安に移る時代を代表する木造彫刻の傑作。政変が相次ぐ中、疫病が蔓延し怨霊の仕業と恐れられた当時、まるで怨霊をねじふせるかのような強い表現は混乱の時代が求めた仏像のように見える。2023年5月10日、落慶法要で空海の教えを伝える真言宗の住職等が一同に介した。密教の世界観を描いた高雄曼荼羅の前で経が読まれた。
空海が計画し死後に完成した教王護国寺の「五大明王像」。不動明王は体は正面を向いているがなぜか顔は斜め。これは仏師が曼荼羅の絵画表現をそのまま立体に起こしたためと考えられている。空海がもたらした曼荼羅は密教美術の原点となった。空海は「真言の秘密の教えは図や絵の力を借りずに伝えることはできない」と語ったという。高雄曼荼羅が掲げられた本堂の祭壇には曼荼羅から剥がれ落ちた劣化した絹が集められ供養されている。修理に携わった京都の文化財専門の工房では一般の掛け軸と同じく古くなった裏打ち紙を外し新しいものと取り替える修理作業が行われた。欠損している部分は画像編集ソフトを使い何度も試作。穴を埋める絹や裏打ち紙の色も吟味を重ねた。修理の結果、1200年前の絵そのものには何も書き足したりせず、絵本来の輝きを取り戻すことに成功した。
空海が唐から持ち帰った最初の曼荼羅は彩色されたものだったと記録されている。空海の最初の曼荼羅は「両界曼荼羅図」のような極彩色だったと考えられているが、なぜか高雄曼荼羅を作るにあたっては金と銀のみが使われている。大日寺名誉教授の眞鍋俊照さんはその理由について「灌頂」という儀式のためだったと考えている。灌頂とは密教で入門などに際して行われる重要な儀式で空海は神護寺で灌頂を行い、その記録を自ら記していた。灌頂は暗く閉ざされた空間で行われ、受者は目隠しをされるため、金と銀でできた曼荼羅を目にした際には闇に溶けた黒の中に浮かぶ仏の姿が空中に浮かんでいるように見えるという。空海の死から5年たった840年、日本の仏教美術を代表する仏像「五代虚空蔵菩薩坐像」が神護寺に納められた。天変地異や政変が起こるとされる年に平安を願う祈祷のために作られたといわれている。五大虚空蔵菩薩坐像は金剛界曼荼羅に描かれている中で最も重要な成身会の如来が化身したもので、金剛界の立体曼荼羅となっている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月26日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーン(気象情報)
東京・新宿、京都・中京区の中継映像を背景に全国の天気予報を伝えた。

2025年8月26日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(ニュース)
昨日夕方、京都市中京区では1時間に102ミリの大雨を観測、相次いで記録的短時間大雨情報が発表された。今日も全国の広い範囲で局地的に雷を伴う激しい雨のおそれがある。

2025年8月26日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
きのう京都には記録的短時間大雨情報が3回発表。京都・中京区では観測史上1位となる102mmの雨が降った。東京都心では観測史上2位タイとなる8日連続の猛暑日に。連日の異常な暑さで日本の海に異変が起きている。向かったのは漁業が盛んな三重・南伊勢町。三重県は水揚げ量が5年前に比べ6割減少しており、その減少率は全国1位。海中にはほとんど海藻はなく、潜った直後に目の前[…続きを読む]

2025年8月26日放送 5:25 - 8:14 フジテレビ
めざましテレビNEWS
きのう京都市では観測史上1位となる100mmを超える雨が降り、京都市内では記録的短時間大雨情報が3回発表された。東京都心の最高気温は36.3℃まで上昇し、8月としては過去最長の8日連続で猛暑日に。新学期がスタートした都内の小学校では熱中症対策としてリモート始業式を実施。児童は体育館に集まらずエアコンと扇風機がある教室で校長先生の話に耳を傾けていた。厳しい暑さ[…続きを読む]

2025年8月9日放送 22:00 - 22:30 テレビ東京
新美の巨人たち新美の巨人たち
京都錦小路の青物問屋に生まれた伊藤若冲は23歳で家督を継いだ。しかし商いには興味がもてず、仏門に消え錦小路にあった屋敷で、隠遁しながら絵師の道へ。庭に放った鶏を一年間見つめ続けたが生き物には神気が宿っていると信じていた。そしてようやく写生を始めると、掴んだ神気を表現しようと模索した。その集大成が群鶏図で、画面いっぱいに蠢く鶏たちは動き出さんばかりに迫真の描写[…続きを読む]

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