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「中原中也」 のテレビ露出情報

敬一の五男博さん、敬一は海軍の通信員だったと話した。敬一の任地は鎮海、日露戦争をきっかけに軍港として開け日本人が移り住んでいた。鎮海での敬一の足跡を調べる、戦前の日本家屋も残っていた。休日は日本兵が街に出て過ごしていた。敬一は石田久と出会う、後の雅治の祖母。久のルーツは山口市、父角治郎は石部の材木商の息子、結婚後妻の実家のある山口に移り住み商売していた。久の三女克子さんによると、詩人中原中也と久の弟と同級生だった。久は女学校卒業後、父の仕事の関係で朝鮮半島に渡る。久の甥秀人さん、角治郎がしていた職業は土木建築請負業と話した。その後石田家は仕事の拠点を鎮海に移す。ある日久は敬一と出会うことになる。当時の記録による久の家の住所へ、近所でも美人と評判だった久、敬一は結婚を申し込む。その後日本に戻った2人、柳川で結婚した。昭和の始めになると長崎に移り住む。長崎市内の敬一の姉が嫁いだ家には敬一が手がけた仏壇が残されている。昭和7年、敬一と久の間に次男が生まれた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月14日放送 22:58 - 23:06 テレビ東京
夢遺産(夢遺産)
N35インターナショナルは脚本・構成、映像の企画・制作、イベントの企画立案、企業のアドバイザリー業務を請け負う。社長の小山さんの幼少期の夢は詩人。日本大学・芸術学部・放送学科に入学しラジオ局でアルバイトをしていた中、プロデューサーから何か書かないかと提案を受け仕事になっていた。2001年に放送作家事務所のエヌ三十五を設立。ターニングポイントは日光金谷ホテル。[…続きを読む]

2025年4月30日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース(山口局 昼のニュース)
ことしの中原中也賞には京都府の高村而葉の詩集「生きているものはいつも赤い」が受賞した。山口市で開始した授賞式に高村而葉も出席し、萩焼の陶板で作られた賞状や中原中也のブロンズ像&賞金100万円の目録が贈呈された。ことしで30回目となる中原中也賞には全国から247点が寄せられていた。高村の詩集は約20年かけて22編につづった初作品だという。

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