中野区内で発行される地域新聞「週刊とうきょう」。腕章を付けて取材する涌井友子さん(92)。撮影から記事を書くことまで1人で全て行う現役記者。地元では”母ちゃん記者”と慕われ、ちょっとした有名人。友子さんが記者となったのは約50年前。地方新聞の記者だった夫・啓権さんが独立し中野の地域新聞を発行し始めたのがきっかけ。当時、新聞の集金担当だった友子さんは夫の取材を手伝う中でいつしか記者になったという。中野の明るい話題を伝えたいと夫婦二人三脚で月2000部以上発行。順調に部数を伸ばしていた矢先、啓権さんが肝臓がんにより53歳の若さで他界。創刊から8年目のことだった。夫が居なくなったら続けられないと考えた友子さんだが、病床で危篤状態ですら記事を赤ペンで直して発行しようとしている姿を見て引き継いでやらなきゃと思ったという。引き継いだ友子さんは今も夫婦で決めた”絶対に人の悪口は書かない”、”投書を扱わない”との編集方針を守っている。友子さんだけが聞き出せる情報に定評があるが、編集作業では体力的な衰えを感じることも出てきた。その友子さんが頼れる存在が娘・久美子さん。友子さんが原稿用紙に書いた文章を久美子さんがパソコンで入力。久美子さんは「地域のニュースをできるだけ多くの人に知っていただきたい。母が続けられるかぎりは頑張っていきたい」と話した。この日は地元の子供が参加する柔道大会を取材。勝敗結果はほぼ記事にしない。友子さんは目に止まった人に楽しかったことややりがいを聞き取る。地域の笑顔を伝え続けたい、友子さんは日々現場に立ち続けている。中野区以外の人は郵送でも受け取ることが可能。