乙武洋匡は自身の人生を振り返り、障害者として生まれてきてそれをプラスと捉えるかマイナスと捉えるかと答え、自分のお尻も拭けない人生はプラスとするのは難しいという。人に頼み続けなければいけないのはマイナスに思えるが、人は社会人になった時に自分が本当に必要なのかと考えるが、乙武は自身はその悩みにぶち当たったことはないと答えた。またオリジナリティーに溢れすぎていて、自分にしかできない生き方ができていると思えたので、そういう意味で大きなプラスであり、決してスタートはマイナスではないと答えた。しかし幼少期は幼稚園に入ることも難しく、そこに入るために引っ越しをしたという。それほど当時は一般的な進路をとることすら難しい時代だったという。乙武は自身母については基本楽観的な人だという。母親は産後、子どもに一ヶ月会えなかったというが、手足がないというウソを隠すために子どもに黄疸があるので会えないと言われ続けていたという。そしていよいよ面会した時、母はかわいいと言ったという。その母がなんとかなると思ってくれるタイプの親だったので、自分の人生も明るかったという。
乙武は学生時代もグラフの位置が高いのは友達関係も大きいというが、いじめを受けずに育ったのが大きかったと答えた。学級委員長や生徒会長もこなし、障害があることの引け目よりもクラスのリーダという気持ちが強かったと答え、高校も受け入れ先を探すのが大変で私立は受け入れを拒否され、公立高校に絞って受験したという。しかし受け入れ先が偏差値の高い学校で、成績は下降しクラスで下から2番目になったと答えた。またアメリカンフットボール部のマネージャーになり、パソコンで相手チームを分析しデータを出し戦略担当に渡し恋愛もし高校生活を満喫したという。大学時代については早稲田大学で街の地域活性化に取り組み、車いす探検隊という車いすに乗って移動し、早稲田の街を普段とは違った角度から体験してもらうイベントを行ったが、それを新聞やテレビが取り上げ、出版社から話がきて五体不満足を書いたという。しかし文を書くのが苦手という理由で断り続けていたが、伝えたいことがあるという気持ちが上回りやってみようと思ったという。そしてその本は600万部売り上げた。
乙武は学生時代もグラフの位置が高いのは友達関係も大きいというが、いじめを受けずに育ったのが大きかったと答えた。学級委員長や生徒会長もこなし、障害があることの引け目よりもクラスのリーダという気持ちが強かったと答え、高校も受け入れ先を探すのが大変で私立は受け入れを拒否され、公立高校に絞って受験したという。しかし受け入れ先が偏差値の高い学校で、成績は下降しクラスで下から2番目になったと答えた。またアメリカンフットボール部のマネージャーになり、パソコンで相手チームを分析しデータを出し戦略担当に渡し恋愛もし高校生活を満喫したという。大学時代については早稲田大学で街の地域活性化に取り組み、車いす探検隊という車いすに乗って移動し、早稲田の街を普段とは違った角度から体験してもらうイベントを行ったが、それを新聞やテレビが取り上げ、出版社から話がきて五体不満足を書いたという。しかし文を書くのが苦手という理由で断り続けていたが、伝えたいことがあるという気持ちが上回りやってみようと思ったという。そしてその本は600万部売り上げた。
