流暢にアラビア語を操る外務省の井ノ上正盛書記官当時29歳。イラク戦争直前の2003年3月8日の映像。この約8ヶ月後にテロが発生し命を失う。上長飯小学校で井ノ上書記官の追悼式が行われた。校庭には平和の木の井ノ上桜が植えられている。2003年イランは緊迫をしていて、アメリカは大量破壊兵器の保有を理由にイラクに対し武力行使を計画した。その1年前から書記官は在ヨルダン大使館イラク班に配属していた。日本側がイラク側を説得した際、井ノ上書記官が双方の通訳に尽力した。イラク戦争開始直前には日本大使館から避難命令が出ていた。アメリカは圧倒的な武力で3週間でフセイン政権を崩壊させた。その後、井ノ上書記官は復興支援のため再びイラクに入り、奥克彦参事官もイラクに入った。2人は医療・教育など経済協力案件を調査した。当時について大西さんは井ノ上書記官について風呂に入っておらずホコリまみれだったという。イラクは治安が悪化し国連本部ビルが爆破され24人が犠牲になった。井ノ上さんは任期が近づいていてジャラール・タラバニ氏との会談を調整することが最後のミッションであった。
2003年11月29日、井ノ上書記官らはバグダッドを北上しジャラール・タラバニ氏のいるティクリートに向かった。しかし、残り30kmの地点で後ろからきた車に横付けされで自動小銃で30発以上撃たれた。助手席に乗っていた井ノ上書記官とイラク人運転手は即死、奥参事官には意識があり、病院へ搬送するも施し用がなかった。犯人は今も分かっていない。遺族は遺体が安置されている米軍基地へ赴いた。長男は当時2歳で妻は妊娠中で臨月を迎えていた。妻はこの数週間後に女の子を出産した。井ノ上書記官は小学生の頃から高い志を抱いていた。熊本大学では国際法を専攻し論文のテーマは国際法であった。命日の近くになると上長飯小学校では毎年、校長先生が平和学習を行っている。井ノ上書記官の姉が始めてメディアに対し手紙を書いた。
2003年11月29日、井ノ上書記官らはバグダッドを北上しジャラール・タラバニ氏のいるティクリートに向かった。しかし、残り30kmの地点で後ろからきた車に横付けされで自動小銃で30発以上撃たれた。助手席に乗っていた井ノ上書記官とイラク人運転手は即死、奥参事官には意識があり、病院へ搬送するも施し用がなかった。犯人は今も分かっていない。遺族は遺体が安置されている米軍基地へ赴いた。長男は当時2歳で妻は妊娠中で臨月を迎えていた。妻はこの数週間後に女の子を出産した。井ノ上書記官は小学生の頃から高い志を抱いていた。熊本大学では国際法を専攻し論文のテーマは国際法であった。命日の近くになると上長飯小学校では毎年、校長先生が平和学習を行っている。井ノ上書記官の姉が始めてメディアに対し手紙を書いた。