明治政府は近代産業の見本市を催し、多くの人を呼び込むシンボルとして平安神宮が創建されたという。正面にそびえる門は平安京の応天門を5/8サイズで再現したもの。大極殿は神社の拝殿し、多くの参拝客に来てもらうべきと提言したのは佐野常民だった。また、水力発電所を建設し、その電気を用いて路面電車が運行した。4ヶ月の会期中、のべ113万人が来場した。佐野常民は伝統美術、神社仏閣の保護と合わせて山林の修復、美しい自然の保存を重要視し、1897年、没収されていた山林の一部が清水寺に返還された。補助金を投じて多くの紅葉が植えられた。同年、古い建築物の修理にも補助がつく法律が施行された。そして、京都は大きく復興を遂げていった。