ミラノ・コルティナ五輪まで、あと336日。千葉百音に単独インタビュー。「五輪は私がスケートを始めた頃から夢に見ていた舞台なので、絶対に行きたいという思いが強いです」と語った。千葉百音にとって去年は飛躍の1年だった。NHK杯(2位)、中国杯(2位)、そしてグランプリファイナル(2位)と世界のトップレベルの強豪が出場する大会でも表彰台に上がる強さを見せ、自信をつけていった。千葉百音は「試合への心構えというか、演技に臨む気持ちとか全て成功につなげられた。そういう成功パターンをしっかり自分の体とか記憶に刻めたのが、いい経験になった」と語った宮城県仙台市の出身。フィギュアスケートとの出会いについて、千葉百音は「(4歳の頃)テレビで初めてフィギュアスケートの試合を見て、華やかさに惹かれて滑ってみたいとお母さんに言って始めました。氷の上を最初、ハイハイで滑ったりしたのは覚えている。割と始めてすぐ、氷の上でスピードを出す楽しさを覚えている」と語った。そんな千葉百音にフィギュアスケートの魅力を伝えた先輩が、五輪2大会連続で金メダルを獲得した、同じ仙台出身の羽生結弦。羽生結弦と千葉百音は、同じ仙台市内のスケート場「アイスリンク仙台」で練習していた。羽生結弦について、千葉百音は「一緒に遊んでくれる優しいお兄ちゃん。始めて間もないころに(私が)幼稚園が終わって氷の上で滑って遊んでいる時に、一緒に鬼ごっことかしてくれた」と語った。そんな“憧れのお兄ちゃん”との秘蔵映像が残っていた。それは、千葉百音が6歳だった2011年、東日本大震災の発生からおよそ4か月後の7月、当時16歳だった羽生結弦は震災後に再開した仙台のスケートリンクを訪れていた。すると、「もね〜久しぶり!元気だった!?練習してた?」と声をかける羽生結弦の胸に飛び込んできたのが、当時6歳の千葉百音だった。千葉百音は「私も幼稚園児だったので、そのすごさを知らないまま一緒に遊んでいて、滑る楽しさはあそこで記憶にちゃんと残っているので、スケートが楽しいって思わせてくれた」と語った。震災前後の幼き日々の記憶。羽生先輩と共に笑顔で滑った時間が教えてくれた“スケートの楽しさ”。それこそが千葉百音がきょうまで歩み続ける確かな原動力に。東日本大震災からまもなく14年、仙台の地で憧れの背中を追いかけ続けた少女は、初の五輪で世界の頂きを目指す。3回転ジャンプの質を高めることに加えて世界に挑むために日々、全力で取り組んでいることについて、「4回転を取り入れた試合を少なくとも1試合はチャレンジしたいと考えている」「技として取り入れられる一歩手前ぐらいなので、世界で戦っていくためには必要だと思う。取り入れられるように、これからも練習を続けていきたい」と語った。全ては来年2月、イタリアの地を楽しむため。今年5月に20歳を迎える千葉百音は、今後の決意について「初めての舞台ですごく緊張すると思うけど、胸を張って演技ができるように、悔いのないように実力の伴った演技ができるように頑張ります」と語った。