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「佐藤栄作元首相」 のテレビ露出情報

年間1000種類以上のアイスを食べる日本アイスマニア協会代表のアイスマン福留さんが紹介。工業生産になって全国的にアイスクリームを食べられるようになったのは1955年のアイスクリームバー(ホームランバー)。日本のアイスは加速度的に成長。1960年代、高度経済成長。大坂の江崎グリコ、東京の森永製菓がアイス業界に参戦。1962年、森永ロビーが発売。1963年、グリコのジャイアントコーンが発売。クイズ:1969年に九州のご当地アイスは?。正解は竹下製菓のブラックモンブラン。
1971年、アイス業界にも大きな変革が起きた。レディーボーデンの登場でアイスを贈答品に格上げ。雪印でフレーバーランド、バリアンティ、明治で彩という商品を出すなど大きなホームタイプの高級アイスが人気を得た。1974年、子供たちに大人気となったセパレートアイス、パピコが登場した。乳酸飲料のフレーバーが子どもたちに大ヒットし、発売から3年後にチョココーヒー味も登場した。さらにアメリカから世界最大級のアイスクリーム専門店であるサーティワンアイスクリームが東京・目黒に1号店をオープン。当時、日本人を仰天させたのはチョコレートミント。1980年代になると日本はバブル経済に突入。高級志向に拍車がかかっていた時代。1981年に冬アイスの定番、雪見だいふくが登場した。発売当時は冬限定だった。1984年、ハーゲンダッツが日本に上陸。東京・青山に1号店が開店。1985年にミニカップを発売した。当初はバニラとチョコレートの2種類。日本初のオリジナルフレーバー、グリーンティーは初めて日本とアメリカで共同開発して生まれた味。ハーゲンダッツの工場はアメリカ、フランス、群馬県の世界で3か国のみ。アイスマン福留は「レシピは一緒でも使っている原料が違う。浜中町っていうところのミルクを使った日本のハーゲンダッツは一番おいしい!」などと語った。
氷系アイスにも大ヒット商品がたくさんある。1981年にガリガリ君が発売された。赤城しぐれを片手でも食べられるように開発された。ガリガリ君販売本数推移(赤城乳業)をみると2000ぐらいを境に、リニューアルしたタイミングでいまの可愛いガリガリ君になったという。2003年発売の「ガリガリ君のうた」が大ヒット。現在の年間販売数は約4億本。国民1人あたり年間3本以上食べている。1986年にグリコのアイスの実が登場。パッケージも箱型からパウチに変更するなど時代に合わせて変化していった。アイスマン福留によるとアイスの実は7分置いてから食べるとほどよく溶けた“ひやとろっ食感”を楽しめる。構造のヒントになったのは冷凍マグロ。1989年にICE BOXが発売された。1993年にJリーグが開幕。それまで嗜好品だったアイスに水分補給などの機能性を持たせた。1998年に「ガツン、とみかん」が発売された。アイスマン福留は「赤城乳業の哲学を感じる」などとコメントした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年7月27日放送 10:25 - 13:55 TBS
ひるおび(ニュース)
奈良県出身の高市総理も「日本の宝から世界の宝となったこの貴重な文化遺産を確実に守り次世代へ着実に引き継いでいく」「『飛鳥・藤原の宮都』の価値と魅力に触れていただけることを期待している」などとコメントを発表した。専門家によると登録された年度の経済効果は約49億9311万円にのぼるとのこと。2006年がスタートの年となった。奈良県などが文化庁に世界遺産暫定一覧表[…続きを読む]

2026年7月1日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
くりぃむクイズ ミラクル9(くりぃむクイズ ミラクル9)
後世に残したい昭和・平成遺産SP。有田ナインの挑戦。昭和35年、僻地の学校を支援する運動がスタート。マークを集めて1点=1円で教材を購入できるシステム。国内外の友達に愛の鐘を鳴り響かせようと続いてきた運動は?正解はベルマーク運動。
有田ナインの挑戦。昭和40年、東京駅直結の東洋一の地下街がオープンした。現在、約180店舗が軒を連ねる。この地下街は?正解は八[…続きを読む]

2026年6月22日放送 13:00 - 16:44 NHK総合
国会中継(国会中継)
れいわ新選組 伊勢崎賢治氏の質疑。伊勢崎氏は、韓国の尹錫悦前大統領が2023年に「日本が国連軍司令部に提供する7か所の後方基地は、北朝鮮の韓国侵攻を遮断する最大の抑止要因になっている。北朝鮮が侵攻する場合、国連軍司令部が自動的かつ即時的に介入して報復することになっており、日本の後方基地はそれに必要な国連軍の陸海空戦力が十分に備蓄されている場所」と発言したこと[…続きを読む]

2026年6月18日放送 15:49 - 19:00 TBS
Nスタそれが知りたかった!
記者会見や囲み取材といった総理への記者への対応は紆余曲折を経て今の形となった。1972年の佐藤栄作総理の退陣会見では、佐藤総理が「偏向的な新聞が大嫌い。直接国民に話したいからテレビを大事にする」などと発言し、会見場から記者が一斉に退出した。平成に入ると総理の番記者が総理の横で直接話を聞くスタイルが続いた。

2026年6月13日放送 4:50 - 5:20 テレビ朝日
テレメンタリー2026テレメンタリー2026
高橋悠太さんは平和活動を初めて13年日本全国や海外で被爆者の声を届けてきた。しかし、若者の間で変わりつつ、核兵器への意識。どうすれば声は届くのか?核兵器廃絶の声を訴えるその姿に密着。 10年前に国連で核兵器禁止条約が成立。核兵器に関わる全てを禁止する条約が成立した。核廃絶のうねりが起こる中で、高橋さんは活動を始めた。きっかけは、中学高校での部活動。被爆者の体[…続きを読む]

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