手塚は備前にある備前焼の作家へ。平川忠さんは備前焼作家だが700年前の備前焼を手塚に紹介。優れた機能を紹介した。また平川さんは備前の山々を歩き、中世の陶工が使っていたであろう土を発見した。流紋岩は備前市周辺に広く分布し、粘土のもととなる岩石。30年以上に渡る調査研究で平川さんは、中世の釜の復元に着手し改良を重ね新たな釜を完成させた。手塚はその中に入り落ち着くと答えた。さらに吉永町にやってきた。ここでは田倉牛神社大祭が毎月1月5日に開催。田倉牛神社は農耕の神を祀る神社で、手塚は早速境内を目指し階段を歩いたが、神座には備前焼きの牛が20万体以上。農耕が盛んだった頃に暮らしを支えた牛の健康を願って参拝者が奉納するように。手塚は一年間その備前焼の牛を一体借りると守られると聞いて、きれいだと感じた火襷の牛を選んだ。