鎌倉時代の大事件「元寇」の絵巻について、勇猛なモンゴルの兵士3人が後から付け足したという説がある。江戸時代に絵巻を修理した際に絵巻の紙が上下約4cmずれて修理されているのに、ずれた上に描かれているモンゴル人がずれていないため、江戸時代に描き込まれたと言われている。3人がいるために竹崎季長が危機的な状況に立っているように見えるが、3人を消すと竹崎季長がモンゴル人を追いかけているように変化し、自分の活躍を子孫に残すための絵にふさわしくなってくる。黒いブーツの3人と“てつはう”、弓矢の矢も後から描き入れたのではないかという説がある。“てつはう”は鉄の玉の中に火薬を積んで破裂するものと言われていたが、発掘調査によって鉄の玉ではなく陶磁器の中に火薬を詰めている本物が出てきた。諸説では元々最初からあったという説もあり、まだ定説ではない。モンゴル軍が2回やってきたことを2つ合わせて元寇と言うが、わかりづらいということで教科書では「モンゴルの襲来」と呼び方が変わってきている。モンゴル軍が撤退したのは暴風雨のためとされるが2回目の弘安の役だけで、1回目は内部対立での撤退や偵察だったと言われている。
