1985年、ドラフト会議の主役は清原和博と桑田真澄だった。2人はPL学園で1年生から不動の4番とエースだった。清原は巨人への入団を熱望。桑田は大学進学を表明し多くの球団が清原を1位指名するとみられていたが、巨人が指名したのは桑田だった。清原は6球団から1位指名を受け、西武に入団した。1989年には野茂英雄が史上最多の8球団から1位指名を獲得した。近鉄に入団し投手四冠を独占し、メジャーリーグに挑戦。数々の偉業を達成した。2012年、大谷翔平はメジャー挑戦を表明したが日本ハムの栗山監督は強行指名を明言した。入団交渉は1か月半に及んだ。栗山監督は二刀流育成プランを打ち出し、大谷は日本ハム入団を決意した。