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「光が丘パークタウン」 のテレビ露出情報

戦前、戦中、戦後、高度経済成長など、激動の昭和時代は人々の生活にどのような変化を与えたのか。昭和の時代を生きた人々を取材。東京・青梅市は「昭和レトロの青梅宿」ということで、猫とともに町おこしをしている。昭和レトロを感じさせる町として知られる青梅市は現在「昭和の猫町」をうたい、街のあちこちに猫のオブジェや猫のパロディー映画看板などで散策の目を楽しませてくれている。木造のバスの停留所は、今も都バスが止まる現役のバス停。一説には昭和レトロという言葉は、青梅が発祥との説があり、横丁には昭和の風情を残した町並みがある。かつて3つの映画館があった青梅には看板を描く職人が何人も住んでいた。公民館を改装して作られた昭和幻燈館には映画の記憶が展示されている。
激動の昭和は私たちの暮らしを大きく変えた。高度経済成長期を迎えた昭和30年代〜40年代、団地の建設が盛んに行われブームとなった。都内の巨大団地群の1つ、東京京都練馬区・光が丘パークタウンは、総戸数1万2000戸を擁する団地。戦後の復興期、自宅にお風呂のない家も多く、銭湯通いをしていた人がほとんどだった。昭和30年ごろは、まだ洗濯機が高価なため文化洗濯場と呼ばれるコインランドリーのような場所が繁盛。光が丘パークタウンの場所は、戦後まもなく「グラントハイツ」と呼ばれる米国軍家族の住宅地として使われていた。話を聞いた男性は米国軍の大佐の家を任され、約18年ハウスボーイとして働いた。妻との出会いもグラントハイツだった。
住所: 東京都練馬区光が丘3

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年2月23日放送 7:30 - 10:25 日本テレビ
シューイチ今昔NEWSイッチ
日本の団地史を大調査。団地研究歴20年以上、団地のファンサイトを運営し著書も発行する団地愛好家・照井啓太に団地の歴史を聞く。郊外にマンモス団地が出現。昭和46年から入居が始まった多摩ニュータウンは、東京の稲城市、多摩市、八王子市、町田市にまたがる、現在、人口約10万人のベッドタウン。高度経済成長期の中、都会の土地の価格が跳ね上がり、深刻な住宅不足を受けて開発[…続きを読む]

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