ヤマト王権が起こした鉄の技術革新について、実験で検証した。まずは4世紀の炉を再現するため穴を掘って木炭を燃やし、ふいごで風を送る。3世紀の炉と比べると高温の範囲が広くなっており、4世紀の炉では直径15センチで1000℃を記録した。ふいごの先端の羽口が鍵となる。大陸で編み出された仕組みが日本で改良されて4世紀に大型化。より大きな鉄の塊を熱して加工できるようになった。愛媛大学の村上教授は作りたい鉄器を作れるようになった、リーダーの言葉を実現するということでチャレンジしたと話した。応神天皇にあたるとも言われている倭王・讃は東アジア情勢に目を向けた。