今回のテーマは「豊臣の女性ってどんな人たち?」。兄弟の母親・なかは秀吉が関白になると「大政所」と呼ばれ、家康の身の安全を保証するため人質となって徳川家に預けられた。兄弟の姉・ともは、秀吉がまだ若いともの息子を甲斐の大名にしたとき「遠い所に行かせないで」と抗議し、息子は美濃の大名となった。1625年に死去し、豊臣の滅亡を見届けた。秀吉の妻・寧々は秀吉より12歳ほど年下で、織田の家来の家に生まれながら大名の妻→関白の妻とのぼり、朝廷との折衝・もめごとの処理など多くの政治を行っていた。秀長の妻・慶は、織田信長家臣の娘で寧々と同年代とみられている。
