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「前田監督」 のテレビ露出情報

青山学院大学・原晋監督と黒田朝日選手がゲスト出演。第102回東京箱根駅伝は、総合成績で青山学院大学が3連覇した。記録は10時間37分34秒、往路は5時間18分8秒、復路は5時間19分26秒ですべて大会新記録だった。前日について、黒田選手は「普段と同じような時間に寝て、すっきり朝起きてって感じでした」と話した。走っている時について「走っているときの記憶はほとんど残っていない。めちゃくちゃ苦しいけど、楽しいですよ。」などと話した。青山学院大学について、早稲田・花田監督は「勝てると思ったんですけどね。黒田君があそこまで来るとは…あっぱれというしかない。」、國學院・前田監督は「全部持っていかれた。黒田朝日の大会。この記録はなかなか抜けないんじゃないか。」と話している。黒田選手が5区を走ると決まったのは2週間前だったが、12月に入った頃に2区か5区だろうと言われていたのだそう。黒田選手は山上りが得意で、そこに関しては不安はなかったという。箱根駅伝について紹介。総距離は217.1キロで、注目の区間は花の2区。区間最長23.1kmで、ラスト3kmは上り下りの繰り返しで体力・精神力・勝負勘のすべてが求められる。山の5区は、最大の難所・山上り。標高約874mを一気に駆け上がり、活躍した選手は「山の神」と称される。黒田選手について、1年生のとき箱根駅伝はメンバー登録されていたが出走ならずだった。2年・3年で2区を走り、デビュー戦で区間賞。3年のときは区間3位で区間新記録をマークした。そして、今回は山の5区で区間新記録となった。2025年、全日本大学駅伝では7区で区間新記録、出雲駅伝では6区で区間賞、大阪マラソンで初マラソンだったが、2時間6分5秒で学生新記録を樹立した。原監督は黒田選手について「箱根駅伝の歴史上最高のランナー」と話している。「箱根駅伝トークバトル」で話題に上がったのは、黒田選手は何区を走るのか。原監督は「各大学のエースは2区でしょ?」などと答えていた。この時点で原監督・黒田選手の中で8:2で5区と考えていたのだそう。前日までの登録メンバーで2区にも5区にも黒田選手の名前はなかった。箱根駅伝は区間エントリーは10人、補欠は6人で、往路・復路あわせて変更は6人までで1日最大4人まで変更可能だという。変更する場合は、競技開始の1時間10分前まで。区間エントリーされた選手同士の変更は認められないとのこと。青山学院大学は、1区は小河原選手に、2区は飯田選手に、5区は黒田選手に変更された。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年1月8日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(ニュース)
東京・渋谷の青山学院大学から中継。青山学院大学陸上部・原監督が番組に生出演。原監督は「3分半以上離されるとオール優勝どころか総合優勝も難しくなるなと感じていた。5区6区は自信があった、その強みを活かすためにも1区から4区のタイム差を縮めていくと想定して頑張ってきた」と話した。2024年の優勝旅行はハワイ、2025年はグアムだった。宇田川選手は「ハワイに行きた[…続きを読む]

2026年1月5日放送 8:00 - 9:55 テレビ朝日
羽鳥慎一モーニングショー(ニュース)
箱根駅伝で青山学院は往路・復路・総合タイム全てで大会新記録を達成した。
青山学院打楽は1区走者が2日前に胃腸炎となり4区予定の選手が1区を走り16位と出遅れた。4区は当日変更で出走しなくなる予定だった選手が走り区間3位と健闘。5区を走る黒田朝日はフルマラソン学生記録保持者でトップとの差は3分24秒。スタート直後に4位に浮上し約9.8kmで3位に浮上し、約1[…続きを読む]

2026年1月5日放送 5:50 - 9:00 日本テレビ
ZIP!(ZIP!)
平坦なコースが続く1区では、國學院大學がトップとなった。國學院の青木瑠郁は、1時間00分28秒で区間新記録となった。青山学院は16位と、前回大会の区間2位に相当するタイムだった。

2026年1月3日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ
完全密着!箱根駅伝(完全密着!箱根駅伝)
きのう行われた箱根駅伝。この番組では、その興奮を合計204台のカメラ映像や優勝メンバーが語る裏話などでお届け。MCの山里は中学時代陸上部に所属。母の夢は「息子が箱根駅伝を走る」だった。井桁弘恵は早稲田大学出身、中学時代は陸上部に所属していた。渡辺康幸は早稲田OB。柏原龍二は渡辺が早稲田の監督を務めていた09年、早稲田との4分58秒差を逆転し1年生ながら東洋大[…続きを読む]

2026年1月2日放送 5:50 - 6:45 日本テレビ
箱根駅伝 絆の物語 スタート直前生情報(箱根駅伝絆の物語&スタート直前生情報)
國學院大學の主将・上原琉翔選手は沖縄県で生まれ育った。当初は野球をやっていたが、長距離の練習をやっている中で足が速くなり、中学2年生の時に全国都道府県対抗駅伝の沖縄代表に選ばれた。そこで陸上の楽しさに気付き、同じ時に代表だった濱崎達規さんの存在もあって高校からは陸上に専念。強豪・北山高校に進学して当時の顧問だった大城昭子さんの指導を受けながら成長。そして20[…続きを読む]

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