菜月チョビが劇団を始めたきっかけを語った。中学・高校と部活をしていなかったので、拘束キツめの部活をしてみたくて大学で演劇サークルに入った。隣町出身のつかこうへいの戯曲をやるために劇団を作ってオリジナルをやり始めたという。2000年に兵庫県西宮市で劇団鹿殺しを旗揚げし、2005年にメンバーと共に東京進出した。26歳になって18歳の子に混ざってバイトをするとテンションが下がるので、バイトはせず路上パフォーマンスでお金を稼いだ。当時は路上パフォーマンスが流行っていてテレビのランキング番組で全国2位になったという。300~400人を集めたこともあり、1回で最高20万円を稼いだ。