脚本家の山田太一さんは人間や時代の本質を描いたテレビドラマを手掛けた。社会問題に切り込んだドラマ「男たちの旅路」や劣等感に悩む若者の群像劇などを手掛けた。山田さんは昭和9年東京生まれ。両親は浅草で大衆食堂を営んでいた。大学卒業後は国語の教師を目指していたが、ひょんなことから映画会社の松竹に入社した。戦後の日本を代表する映画監督の木下恵介さんの元で助監督として多くのことを学んだ。脚本家に転身するきっかけはテレビドラマにも進出していた木下監督からの以外な誘い。山田さんの名が全国に知れ渡ったのは連続テレビ小説「藍より青く」。平凡な人生の尊さを描き平均視聴率は47.3%に。昭和51年には、日本ではじめて脚本家の名前に関した男たちの旅路がスタート。様々な社会問題を浮き彫りにした。障害者がおかれた厳しい現実をあぶり出すなどし大きな反響をよんだ。
平凡な中流家庭の崩壊を描いた岸辺のアルバムは異色のホームドラマと言われた。オリジナルの物語を多く紡いだ山田さん。俳優の個性にインスピレーションを経て脚本を描いた。考え抜いたセリフは一言一句変えないようリクエストしていた。テレビドラマや映画や演劇よし時間をかけられることだという。晩年は東日本大震災をテーマにした作品に力を注いだ。美談では済まされない被災者の姿に迫った。
平凡な中流家庭の崩壊を描いた岸辺のアルバムは異色のホームドラマと言われた。オリジナルの物語を多く紡いだ山田さん。俳優の個性にインスピレーションを経て脚本を描いた。考え抜いたセリフは一言一句変えないようリクエストしていた。テレビドラマや映画や演劇よし時間をかけられることだという。晩年は東日本大震災をテーマにした作品に力を注いだ。美談では済まされない被災者の姿に迫った。