オランダ・ワールレ市に長崎で被爆したオランダ人男性が眠っている。アナローズさんは「この場所が好きだったんだと思う」。元オランダ領のインドネシア生まれ、太平洋戦争中に旧日本軍の捕虜となる。1945年8月9日、長崎市で被爆。ウィリーブッヘルさんがいた収容所には当時約200人の捕虜がいて、原爆で8人が死亡とされる。ブッヘルさんは過酷な捕虜生活から解放されたと考え、投下は「やむを得ない」と考えていた。「命を犠牲にしても平和をもたらすために原爆を使わなければならなかったと思う」。戦後、ブッヘルさんはオランダ本国に移住。2014年に長崎を訪問。ブッヘルさんの長女・パティさんは「戦争を憎んでいた。日本人を憎んではいなかった。我々はともにあると」とコメント。日本被団協に平和賞を授与するノーベル委員会は「すべての被爆者を称えたい」と述べている。核兵器についてはどう考えているのか?オランダにはNATO加盟国で共同運用の「核シェアリング」に基づき、米国が管理する核兵器が配備されている。パティさんは「核配備も喜ばしいことではない。国際的な緊張の高まりを考えると必要なのだとは思う」。アナローズさんは「使用されないことを願っている」。日本被団協のノーベル賞授賞は、核抑止の議論を続ける国際社会に警告をつきつけている。
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