スタッフは岡山・和気町にやってきた。1日2便の北山方・田土線で終点「日浦」を目指す。途中、踏切が見えた。かつては片上鉄道が走っていたが利用者が減り廃止された。日浦から歩き、民家に声をかけるも誰も出てこなかった。捜索開始から3時間、神戸から家族で移住してきたという男性、秀一さんに会うことができた。ここは10世帯しか暮らしていない本谷集落で、秀一さんは廃校になった小学校を購入して暮らしている。取り壊された校舎の跡地に造った畑では10種類の野菜を育てている。かつてボロボロだった校内をDIYリフォームし、リビングにしていた。2階の廊下に作られた小部屋はこども銀行だった。戦後の新しい教育の中大蔵省と文部省の協力で始まった。子どもに貯蓄を身につけさせるもの。学校と金融機関が連携し、出張所を作ってお金の預け入れや引き出しができた。秀一さんは25歳で脱サラしてから木工職人として活躍してきた。木材を置くスペースが確保でき、騒音で迷惑がかからない、リフォームすれば住むことができるというメリットがあるため木工職人の間では廃校が起きたという。