「魏志倭人伝」によれば、当時の日本は「倭国」と呼ばれる小国の集合体で、それぞれに王が存在していたという。そうした王たちが共同で擁立したのが卑弥呼だった。時の権力者が女性である卑弥呼を擁立した理由を解き明かす手掛かりとなるのが、日本各地の遺跡から発見されている受傷痕のある人骨だ。こうした人骨からは当時の倭国が戦乱の只中にあったことを伺うことができる。当時の気候データはこの時代の日本列島が異常気象に見舞われていたことを示しており、こうした争いは食糧不足を原因としたものであると考えられている。こうした時代の中で、戦乱に対処するために小国の王たちは卑弥呼を頂点とする「邪馬台国連合」を西日本に結成したとみられ、互いに牽制しながら共存しようと考えていたという説が出ているのだ。箸墓古墳のような前方後円墳はこの「邪馬台国連合」のシンボル的なものであったとも言われている。
この説を元にすれば、卑弥呼は実権を持たない祭り上げられた存在に近いことになる。こうした立場で諸国の王を纏めるのは容易ならざることだったが、それに加えて宿敵・「狗奴国」の存在も卑弥呼を悩ませた。狗奴国は前方後方墳をシンボルとする勢力であったと言われているが、この前方後方墳の分布は東海から東北にかけて集中している。この狗奴国は鮮やかな色彩が特徴の「パレススタイル土器」など、独自の文化圏を形成していたとみられる強敵だった。この狗奴国に対抗するために卑弥呼が取ったのが「魏志倭人伝」にも記されているグローバル戦略だ。
この説を元にすれば、卑弥呼は実権を持たない祭り上げられた存在に近いことになる。こうした立場で諸国の王を纏めるのは容易ならざることだったが、それに加えて宿敵・「狗奴国」の存在も卑弥呼を悩ませた。狗奴国は前方後方墳をシンボルとする勢力であったと言われているが、この前方後方墳の分布は東海から東北にかけて集中している。この狗奴国は鮮やかな色彩が特徴の「パレススタイル土器」など、独自の文化圏を形成していたとみられる強敵だった。この狗奴国に対抗するために卑弥呼が取ったのが「魏志倭人伝」にも記されているグローバル戦略だ。