東京・江東区にある介護施設では60人ほどの利用者のうち10人が中国残留日本人やその配偶者。そのうちの1人福士実さんは、中国の旧満州で一家6人で暮らしていたが、戦争に徴兵された父と生き別れになった。終戦後には母ときょうだい3人を亡くし、養父母に引き取られた。福士さん日中国交正常化後の1986年に実の父親と再会し、1992年に永住帰国した。福士さんが直面したのは言葉の壁だった。これまでに6730人が永久帰国していて、その多くが言葉の壁の問題を抱えている。こうした問題に対し、介護施設では中国語が話せるスタッフを配置している。厚生労働省は中国語対応の介護施設を公開しているが、地域差があり対応施設がない自治体もある。