広島で被爆し白血病によって12歳で亡くなった佐々木禎子さんは病気の回復を願って鶴を折り続け平和公園にある原爆の子の像のモデルになった。禎子さんの遺族らで作る団体は平和を願う象徴として国内外に知られている折り鶴を被爆80年となる2025年にユネスコの世界の記憶に登録することを目指していた。団体によると原爆資料館で展示されているものを含む折り鶴100羽余のほか禎子さんの直筆のメモ、履いていた草履などの遺品の合わせて9点について過去に折り鶴が寄贈されたブラジルの被爆者団体と共同で今月28日にユネスコの国内委員会に申請書を提出した。文部科学省によるとことし11月に国内候補として決まれば2025年ごろにユネスコ執行委で登録の可否が決定する。
住所: 広島県広島市中区中島町