936年、大阪府で生まれた川淵さん。高校1年生でサッカーを始めると、大学時代に日本代表に初選出。1964年の東京五輪ではアルゼンチン戦でゴールを決める。1ゴール1アシストの活躍でベスト8進出に貢献。“槍の川淵”と評される。引退後はクラブチームや日本代表で監督を歴任。その後は会社員に専念した時期もあるが、51歳の時、再びサッカー界へ。目指したのは日本サッカーのプロ化。空席が目立っていた当時のスタジアム。川淵さんは勤めていた会社を辞めてまで改革を決意する。当時はプロ野球のように、スポンサー企業が前面に出てチームを運営する企業スポーツが一般的だった。対して、Jリーグの理念は地域に根差したクラブ。そのため、クラブ名には地域の名前を入れ、企業名を前面に出さない方針を打ち出した。新たなマーケティング手法も次々導入し、開幕前から注目を集めていく。開幕戦は前売りチケット4万枚に対し応募数は78万件以上。サッカーが日本の人気スポーツへと変わっていく瞬間だった。
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