正隆はたによの兄が教師をしていた宮城の工業学校に入学。この時学ぶ建築の基礎が正隆を助けることになるという。弁当を持っていく余裕もなく、それでも急激なインフレで暮らしは厳しいままだったという。昭和25年に18歳となった正隆は高校を卒業後に上京することに。夜間学校に入学し、仕事と両立しようとしていた。たによを助けたいと工務店で働き始めた。そんな矢先吉岡家の親戚から連絡が入り、曾祖母のなるが半身不随になりこれ以上面倒を見きれないと言われたという。夜間学校も仕事もやめて正隆は祖母介護のために関西へいくことに。その後祖母はたによの元で亡くなったという。