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「吉川旅館」 のテレビ露出情報

今年は広島・長崎に原爆が投下されて80年。1945年8月6日午前8時15分、歴史上初めての原子爆弾が広島の街に投下された。たった1発の爆弾が半径2km以内の市街地を焼け野原にした。記録ではその年のうちに約14万人が犠牲になったとされている。その20年後の1965年に生まれた吉川晃司さんは原爆の爪痕を感じずに育ってきた。大人になってから祖父母が原爆ドームの川を挟んで真向かいに料理旅館を経営していたことを知ったという。平和公園には原爆が投下される前、約4400人が暮らしていた中島地区があった。かつては広島一の繁華街で多くの人たちの営みがあった。吉川さんの祖父母は中島地区で「吉川旅館」を経営していたが、戦況悪化に伴い吉川家は疎開したという。吉川さんは40代の頃、父親が入市被爆者だということを知った。入市被爆者とは原爆投下から2週間以内に爆心地から約2km以内に入った人のことを言う。吉川さんは「被爆2世と言われたのも大人になって人に言われた。あまり意識もしていなかった。父が人生そろそろ終焉を迎えるころという意識を持った時に何か話しておきたいと思ったのかなと」と話した。吉川さんは今、音楽活動などを通じ平和への思いを積極的に発信している。そのきっかけは忌野清志郎さんだという。吉川さんは「直接的な言葉で浴びせるとみんな引いていく。それをどういうふうにエンターテインメントという形にして届けるかというのも技なんだろうなとか」と話した。吉川さんはある曲を作ったことで平和への思いをさらに強めることになった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年6月23日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
帰れマンデー見っけ隊!!広島 世界遺産SP
サンド、Ooochie Koochieが地元広島の名店を探す。奥田が通ううどん店「ちから」にやってきた。元々はお饅頭屋で、名物のおはぎは現在も人気。高校時代、同じ楽器店・スタジオの通っていたためお互いの存在は知っていたが、デビュー後も接点がなかったという2人が還暦を機にユニットを組むことに。
原爆ドームにやってきた。吉川の父親の実家がすぐ向かいだったという[…続きを読む]

2025年4月2日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.NNN戦後80年プロジェクト いまを、戦前にさせない
1938年ごろ撮影された、被爆前の広島市・平和公園のパノラマ写真を撮影したのはカメラマン・松本若次さん。広島の街並みなどをおさめた写真は約1万3000点。松本さんが撮った写真は被害を免れ2008年に発見された。庭田杏珠記者は高校生の頃から被爆前の広島を写したモノクロ写真のカラー化に取り組んできた。今回も記憶の色を重ねる。
被爆前の広島市・平和公園のパノラマ[…続きを読む]

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